2016年9月4日日曜日

ふぞろいの野菜たち

今日、夫が仕事でお世話になっているAさんから、野菜がゴロゴロ届いた。

Aさんの実家は、新潟県の南魚沼市にあり、無農薬で農業をしている。ときどきお土産として、生命力あふれる野菜をおすそ分けしてもらったことがあったのだが、こんなにゴロゴロ届いたのは初めてのこと。

今年はミニトマトがたくさん採れたそうで、持て余して困っているので、もらってほしいとのことだった。

クール便で届いた小ぶりの段ボールには、隙間なく新鮮な野菜たちがきれいに収まっていた。冷たくてつやつやで、息子と届いたとたんに野菜をほっぺたに当てて、「きもちいいー」と、しばしうっとりしてしまった。

野菜が言葉通りに、ゴロゴロ並ぶ姿は圧巻で、見ているだけで笑えてくる。息子にとっては、野菜の大波が押し寄せてきたように感じたらしく、興奮して野菜の海にダイブしていた。
都会のスーパーでは、色も同じで形も均一にそろった野菜ばかり見ているが、どうも面白みがなく、あまりそそられない。

くねっと腰が曲がったシシトウや、小さいじゃがいもや、大きいじゃがいも、赤いピーマン、黄色みがかったピーマン、まだ房がついたままの青いミニトマトなど、今日送られてきた野菜たちは、どれも一つひとつに個性があって見ていて飽きないのだ。そして、土の気配も感じる。

息子は、大きなじゃがいもを両手に取り、いきなり「こぶじーさん!!」と叫び出したので、私は大笑い。そして、房付きの青いトマトを見て「これきれいだねーママ!」と不思議そうにまじまじと見ていた。そして、さっきまで遊んでいた釣りゲームのところに持っていき、釣り竿に見立てて遊んでいた。「そうきたか!」と、息子の発想力に驚く。
私が写真を撮るために、野菜のおしりばかりを並べていたら、それがおもしろかったらしく、「しりしりしりー」などと言って、隣でクスクス笑っていた。

たくさんあるミニトマトとじゃがいもを、大好きな小石を触るかのように、一つひとつ手に取って転がして、しばらく夢中になって遊んでいた。普段なら私も、食べ物では遊ばせないのだが、たくさんあるし、私だってそうしてみたいと思うから、特別に今日は遊んでもいいことにした。

ふぞろいの野菜たちを見ていると、なんだかホッとしてくる。「みんなに無理に合わせて窮屈に生きることはないんだよ」と、野菜に励ましてもらったような気分になった。




2016年8月29日月曜日

2歳の夏に思うこと

息子も早いもので、今年の8月で2歳5ヵ月になった。

2歳になったばかりの頃とは違い、親が言った言葉や物の名前をすぐに覚えて言えるようになり、「どうしたいの?」「どっちがいいの?」などと聞けば、自分の意見を言えるようになってきて、だいぶ会話らしくなってきた。

一人遊びも、だいぶ集中してできるようになり。電車や車のオモチャを走らせて自分の空想の世界を広げている。
自分でやりたい気持ちと、それがうまくできないもどかしさ、親にかまってもらい甘えたい気持ちが混ざり合って、ときどきカンシャクを起こしてキーキー騒いだり、物を投げて怒ったり、親を叩いたりして、イヤイヤ期の2歳児らしい姿を見せている。

そういう状況だとわかっていても、親も人間なので、しつこく嫌なことをされたり、騒がれたりすると、暑いしイライラして、ついつい余計に怒ってしまうことも多々あり、落ち込むこともある。

そんなときには、イヤイヤ期の息子の親もまたダメダメ期で、お互い成長過程にいるのだと、思うようにして、私も身内に甘えたり、友人にグチを言ったりして、なんとか乗り切ろうとしている。

もうすぐ2歳の夏が終わろうとしている。

あんなに怖がっていた高い滑り台も一人でできるようになり、噴水の水しぶきに喜び、プールでは、バタ足や水鉄砲あそびに夢中になった。パズルは毎日繰り返しやるうちに、一人で24ピースのものができるようになってしまった。大好きなトーマスのミニ絵本は、文を暗唱して私に読み聞かせてくれるようになった。あか、あお、きいろと色を感じる力が強くなり、物の名前と色を組み合わせて覚えて言えるようになった。真新しいスニーカーとサンダルを履き、歩く姿も安定感が増し、凛々しくなった・・・・・・。
まだまだ夏の思い出はたくさんあるが、息子の遊ぶ姿をそばで見ていると、記憶には残っていないが、自分の幼かった頃を思い出す。きっとこんな風に、小さなことでキャッキャとはしゃぎまわって、目をキラキラ輝かせて、親を困らせてもいたのだろう。

毎日を新鮮な驚きと発見とともに、生きていられる幼い子というのは、ただその場にいるだけで、否応なく大人たちに大きな影響を与えてくる。大人も、子どものように頭をからっぽにして、夢中になって遊ぶ時間がもっと必要だし、子どもの目線からもう一度大人の世界をのぞき見るような、純粋な目と熱い心を取り戻したいと思うのだ。





2016年8月14日日曜日

10周年を迎えた『アフリカ』最新号に、おっぱいエッセイを寄稿

日常を旅する雑誌『アフリカ』が、1年ぶりとなる2016年8月号を発行しました!10周年という節目を迎えてさらに迷走中!? の『アフリカ』は、いったいどこへ向かっているのか?どうやら執筆者も編集人もわかからないらしい。

小さなつまずきや違和感をそのまま見過ごすことができない、現代の大人たちが、日常を鋭く描く雑誌『アフリカ』。

最新号では、ドキュメンタリー写真家の柴田大輔が初登場。内戦が続く南米コロンビアの友人マウロとの交友を、互いの9年間にわたる成長を重ね合わせながら、綴っています。(柴田さんは、この夏の終わりから秋にかけて新宿と大阪のニコンサロンで写真展が開かれる予定です。詳細はニコンサロンのサイトをご覧ください)

私、芦原陽子は、『おっぱい山のふもとから(上)』という、母乳育児にまつわるエッセイを寄稿しました。「・開通はしたけれど・真夜中のプロレスラー・母乳育児の危機・心に残る祝いの品々・眠れぬ日々と母の痛み」が、エッセイの小見出し。

のんびりとした妊婦時代を過ごしてきた余韻が抜けないまま、出産と同時に二十四時間営業の「乳業」に携わる身となった、母の最初の戸惑いを綴りました。

『それだけで世界がまわるなら』髙城青さんのエッセイ漫画も、今回は子どもがいない夫婦の葛藤を。『Stork mark』の犬飼愛生さんの詞は、子どもを連れてくるというコウノトリをモチーフに、子ども、出産にまつわる、女の深い欲を描いていて、身につまされます。

『アフリカ』10周年を記念し、編集人が『アフリカ』が誕生するまでの秘話を明かしているページも.
『アフリカ』を手にするのがはじめてという方にも、入門書として!? 楽しめるのではないでしょうか。

『おっぱい山のふもとから』のエッセイで、おっぱいを飲んでいた息子も2歳の夏を迎えました。卒乳してはじめての夏。大好きな電車を見つめる後姿も、ちょっとお兄ちゃんになった気がします。

2016年7月21日木曜日

白雪姫と七人のこびと、わが家のこびと

これまで夫がディズニーのアニメをいくつか借りてきて、一緒に観ていたのだが、2歳4ヵ月の息子が一番気に入ったのが、『白雪姫』だった。
 
『白雪姫』の前によく観ていた、『バンビ』にも通じる森の動物たちがたくさん出てきたのも、うれしかったらしい。息子が好きなシーンは、白雪姫と森の動物たちが歌いながら掃除や洗い物をするところ。リスがしっぽで食器を洗うところと、掃き掃除でズルをするところは毎回笑っている。馬も好きなので、王子様が白馬に乗ってくるシーンは、じっと真剣なまなざしで見つめている。
 
七人のこびとが宝石を掘り、仕事を終えてハイホーと歌いながら、家に帰るシーンは最も好きで、大興奮してすぐにオモチャコーナーにある、トンカチを探しにくる。息子が持っているのは、だるま落とし用の小さなトンカチだが、これを片手に持って、歌いながら部屋をぐるぐるねり歩くのだ。息子は発音がおかしくて、「ハイホー」が「アイフォン」に聞えて笑える。
 
最近は、公園へ行く道すがらも、私にハイホーを歌ってくれとねだり、私は、恥ずかしいながらも、「ハイホー!!!ハイホー、ハイホー仕事が好き」と叫び歌うのである。
 
息子がこびとを好きになったので、シュタイナー教育を行っている幼稚園で教わった羊毛にフェルトの衣装をまとったこびともいくつか作ってやった。四人乗りの木のバスに乗せて遊んでいる。
家の近くのマンションの下に、大家さんが好きなのか?白雪姫と七人のこびとのオブジェが置いてあり、息子は散歩の途中に、「こびとさんにあいにいくー!」と言って、一人ひとりこびとさんの頭をなでて、挨拶していくのだ。息子もちいさいので、8人こびとがいるみたいで微笑ましい。
わが家のこびとさんは、最近水遊びに夢中。桜木町方面へ出かけるときには、マークイズや横浜美術館前にある水辺でじゃぶじゃぶしている。この日は、風船がどこからか転がってきて、息子は喜々として追いかけて遊んでいた。