2016年8月29日月曜日

2歳の夏に思うこと

息子も早いもので、今年の8月で2歳5ヵ月になった。

2歳になったばかりの頃とは違い、親が言った言葉や物の名前をすぐに覚えて言えるようになり、「どうしたいの?」「どっちがいいの?」などと聞けば、自分の意見を言えるようになってきて、だいぶ会話らしくなってきた。

一人遊びも、だいぶ集中してできるようになり。電車や車のオモチャを走らせて自分の空想の世界を広げている。
自分でやりたい気持ちと、それがうまくできないもどかしさ、親にかまってもらい甘えたい気持ちが混ざり合って、ときどきカンシャクを起こしてキーキー騒いだり、物を投げて怒ったり、親を叩いたりして、イヤイヤ期の2歳児らしい姿を見せている。

そういう状況だとわかっていても、親も人間なので、しつこく嫌なことをされたり、騒がれたりすると、暑いしイライラして、ついつい余計に怒ってしまうことも多々あり、落ち込むこともある。

そんなときには、イヤイヤ期の息子の親もまたダメダメ期で、お互い成長過程にいるのだと、思うようにして、私も身内に甘えたり、友人にグチを言ったりして、なんとか乗り切ろうとしている。

もうすぐ2歳の夏が終わろうとしている。

あんなに怖がっていた高い滑り台も一人でできるようになり、噴水の水しぶきに喜び、プールでは、バタ足や水鉄砲あそびに夢中になった。パズルは毎日繰り返しやるうちに、一人で24ピースのものができるようになってしまった。大好きなトーマスのミニ絵本は、文を暗唱して私に読み聞かせてくれるようになった。あか、あお、きいろと色を感じる力が強くなり、物の名前と色を組み合わせて覚えて言えるようになった。真新しいスニーカーとサンダルを履き、歩く姿も安定感が増し、凛々しくなった・・・・・・。
まだまだ夏の思い出はたくさんあるが、息子の遊ぶ姿をそばで見ていると、記憶には残っていないが、自分の幼かった頃を思い出す。きっとこんな風に、小さなことでキャッキャとはしゃぎまわって、目をキラキラ輝かせて、親を困らせてもいたのだろう。

毎日を新鮮な驚きと発見とともに、生きていられる幼い子というのは、ただその場にいるだけで、否応なく大人たちに大きな影響を与えてくる。大人も、子どものように頭をからっぽにして、夢中になって遊ぶ時間がもっと必要だし、子どもの目線からもう一度大人の世界をのぞき見るような、純粋な目と熱い心を取り戻したいと思うのだ。





2016年8月14日日曜日

10周年を迎えた『アフリカ』最新号に、おっぱいエッセイを寄稿

日常を旅する雑誌『アフリカ』が、1年ぶりとなる2016年8月号を発行しました!10周年という節目を迎えてさらに迷走中!? の『アフリカ』は、いったいどこへ向かっているのか?どうやら執筆者も編集人もわかからないらしい。

小さなつまずきや違和感をそのまま見過ごすことができない、現代の大人たちが、日常を鋭く描く雑誌『アフリカ』。

最新号では、ドキュメンタリー写真家の柴田大輔が初登場。内戦が続く南米コロンビアの友人マウロとの交友を、互いの9年間にわたる成長を重ね合わせながら、綴っています。(柴田さんは、この夏の終わりから秋にかけて新宿と大阪のニコンサロンで写真展が開かれる予定です。詳細はニコンサロンのサイトをご覧ください)

私、芦原陽子は、『おっぱい山のふもとから(上)』という、母乳育児にまつわるエッセイを寄稿しました。「・開通はしたけれど・真夜中のプロレスラー・母乳育児の危機・心に残る祝いの品々・眠れぬ日々と母の痛み」が、エッセイの小見出し。

のんびりとした妊婦時代を過ごしてきた余韻が抜けないまま、出産と同時に二十四時間営業の「乳業」に携わる身となった、母の最初の戸惑いを綴りました。

『それだけで世界がまわるなら』髙城青さんのエッセイ漫画も、今回は子どもがいない夫婦の葛藤を。『Stork mark』の犬飼愛生さんの詞は、子どもを連れてくるというコウノトリをモチーフに、子ども、出産にまつわる、女の深い欲を描いていて、身につまされます。

『アフリカ』10周年を記念し、編集人が『アフリカ』が誕生するまでの秘話を明かしているページも.
『アフリカ』を手にするのがはじめてという方にも、入門書として!? 楽しめるのではないでしょうか。

『おっぱい山のふもとから』のエッセイで、おっぱいを飲んでいた息子も2歳の夏を迎えました。卒乳してはじめての夏。大好きな電車を見つめる後姿も、ちょっとお兄ちゃんになった気がします。