2012年12月20日木曜日

世界のムードはそれを許さないらしいので黙っていた

私は人類がついに月面に着陸した時ナーンも感動しなかった。それはテレビにかじりついてホーホーと感心したが、何か人間はしてはいけない事をしているのではないかと思い、それを口にしたいと思った。しかし、世界のムードはそれを許さないらしいので黙っていた。

佐野洋子 「しみじみ」より(新潮文庫「覚えていない」収録)


いまだかつて経験したことがないくらいの喜びと喪失感をわずか数ヶ月の間に一気に経験してしまった私は、今年の秋頃、何も手がつかないくらい疲れきってしまった。私は、ネットからも、人からも、うーーんと遠ざかり、耳をふさいでふて寝したい気分だった。そして、何かの救いを求めるかのごとく、佐野洋子のエッセイをむさぼり読んだ。


きっかけは、私が主催しているMichi-Kusaのサイトのリレーエッセイのコーナーで、文芸雑誌「アフリカ」の仲間である、髙城青さんが若かりし頃に夢中になって読んで影響を受けた本として、佐野洋子のエッセイ本をあげていたからだ。

佐野洋子は、「100万回生きたねこ」の絵本作家として有名で、私も名前と作品は知っていたのだが、エッセイを読んだことはなかった。

先に引用した文章は、まだまだ甘口のほうなのだが、彼女をどんな人と紹介するならば、世間の風潮などおかまいなしという感じで、ガンガン本音で斬り込み、しかも、ガハハと腹を抱えて笑わせてくれる、頼もしく、恐ろしく無邪気で、破天荒なセンパイ女性というところだろうか。


私は佐野洋子のおかげで、どうにか正気というか笑気を取り戻すことができた。悩んだり、悲しんだり、泣いたりしているのがバカらしくなったのだ。


ということで、ようやく重い腰?筆?を上げて、かなり久しぶりにブログを書くことにした。なにやら明日12月21日は、マヤ暦が終わる日だそうですね。明日で世界が終わるとしたら、何をしようか?といろいろ考えた末に、今日私がしたことといえば・・・


ずっと食べたかったパン屋さんに行こう!
という食いしん坊な小さな冒険だった。


横浜から電車を乗り継ぎ、はじめて降り立ったのは小田急線「豪徳寺」駅。5月に行われた私たちの結婚パーティーのときに、お友達が持ちよってくれた料理の中にとても美味しいいパンがあったそうだが、新婦の私は遠慮しているうちにうっかり食べそびれてしまったのだ。それが心残りでずっと行きたいと思って、忙しさと遠さにかまけて、のびのびになってしまっていた。

お店の名前は、「uneclef(ユヌクレ)」。
昔ながらの小さな商店街の道なりに、ひっそりとある小さなパン屋カフェだ。目の前には緑道があって、ガラス越しからは平和そうな顔をして帰宅する学校帰りの小学生や、杖をつきながらよぼよぼ歩くおじいちゃんの姿が見えた。

私はカフェで温かいカフェオレをすすり、ただただボーッとそれを眺めていた。もちろんテーブルには、佐野洋子の本も供えていた。私を救ってくれた佐野さんにも、このうれしい時間を共有してもらいたくて。

今日は、ただただパン屋に行って好きなパンをいくつか帰れば満足という旅。渋谷でデパートなどにも寄らずに、ただパンを買って帰ってきた。明日は冬至なので、お風呂に入れるユズだけスーパーで買い足した。すごく満足な一日だった。そして、何より明日が来ることをワクワクしている自分がうれしい。


選挙も終わり、落胆し、なにやら来年も混沌とした世の中になりそうだけど、それでもいろんなことは、良くも悪くも前に進んでいることをまずは喜んでもいいのかもしれない。

そして、私は私で、自分の欲求に従って前へ進むのみだ。
言いたいことを言い、書きたいことを書き、
食べたい物を食べ、行きたいところへ行き、会いたい人に会いに行く。

これは簡単のようだが、簡単ではない。言い訳をすれば、やらなくたっていいし。本当の欲求以外のところへそれていくことのほうが、本来はラクなのだから。


世界のムードはそれを許さないらしいかもしれないが、
私は、そういう自分の欲求の原点に立ち戻ってみたい。


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