2011年3月24日木曜日

脳内をリセットしてから買い物へ行こう

トイレットペーパーの買い占めにはじまり、連日の放射能汚染による報道で
何を買っていいやら、何が安全なのやら混乱している人が多いと思います。
ここのところの寒さと余震と、見えない放射能汚染の恐怖とで
疲れもピークに達していますよね。

いろんな情報が飛び交うなかで、何を信じて判断し、
どんな行動するか一人ひとりの選択が試されています。
横浜で生活する私自身も、この状況に動揺していますが、


買い物へ行く前に、
ひとまず脳内をリセットしたほうがいいんじゃないの?


というのが、私の答えです。
今の私達の脳内はいろんな情報でパンパンになってヒートアップ
してしまったパソコン状態。だから初期化が必要だと思うんです。

私なりに考えたリセット項目を用意してみました。
脳内のクールダウン、初期化にお役立てください。


★自分なりの「お守りフード」を決めてみる

あれこれ買いあさってみたところで、「足りない」という不安感は
解消されません。それなら、何はなくともコレさえあれば私は
生きていける!と思えるような心強い「お守りフード」を1~3つくらい
に絞って、買ってみてはいかがでしょう?

ちなみに私のお守りフードは「米」でした。2番目にあげるなら「チョコ」かな。
栄養になるとかならないとかは問題じゃなく、気持ちが強くなればいいと
思います。「タバコ」が三度の飯より好きなら、それでいいのです。


★「これ本当に今、食べたいの?」と自分に問うてみる

福島など被災地を応援したい気持ちもわかりますが、安易に放射能汚染
された食物を口にするのは、やはり今は軽率だと私個人的には思います。
首都圏なら他県から安全な野菜が流通しているのだから、今はそちらを
食べる選択をするほうが無難ではないでしょうか。

その上で、「これ本当に今、食べたいの?」と自分に問うてみてください。

産地表示を見て、安全だと鵜呑みにして買うのではなく、実際に商品を
手に取り、鮮度などその野菜から感じるエネルギーに集中してみてください。
本当に買いたいのであれば、手に力が入り料理のレシピが頭に浮んだり、
お腹がグルッと動くかもしれません。いまいちピンと来なかったり、自分が
おいしく食べているシーンが思い描けないのであれば、今はそれほど
食べたくないということ。つまり買う必要がないのです。

本当に欲しい人のためにも、
迷ったら「買わない」という選択をしてください。

日本人は基本的に食いすぎです。これまで蓄積された脂肪や
コレステロールがあるので、少しくらい食べなくても死なないでしょう。


★足りないことはいいことだ!と、開き直ってみる。

水や最低限の食料は、人が生きていく上で必要ですが、それ以外は
なければないでなんとかなります。足りなくなったら代替え品を探せば
いいし、今までの定番を抜け出せる絶好のチャンスでもあります。

いつも使っている商品がなければ、別のメーカーのものを試してみる。
いつも通っているスーパーになければ、町の商店をのぞいてみる。
いつも使っている電車が動いていなければ、バスや徒歩で行ってみる。

それだけでも、今まで見ていた世界がグンと広がるでしょう。
子供を持つ親であれば、そういう姿勢を見せることで、頭を柔軟に
すれば困難は乗り切れることを、子供に教えることができます。

私達一人ひとりが物を買うことは「日々の投資」です。
今まで一カ所に集中していた投資先が分散されることで、
みんなが潤っていくことは、いいことだと思いませんか?

★どさくさにまぎれて、甘えてみる。

トイレットペーパーがなくなったら、誰かに分けてもらえばいい。
食べる物が足りなくなったら、誰かの家でごちそうになればいい。

こんな時だからこそ、どさくさにまぎれて甘えてみればいいと思うのです。
それは、人と人がもう一度ゆるやかにつながるチャンスだから。

自分が助けてもらえば、自然と次に誰かを助けたいと思うものです。
「分け合う」とか「譲ってもらう」とか、お金を使わずとも物を手に入れる
経験をすることは、どっしり構えて気楽に生きていくためにも
必要なんじゃないでしょうか。

2011年3月16日水曜日

泣きたいときは泣けばいい

   泣けばいいんだ泣けばいい

   哀しいときには泣けばいい

   泣けば菜の花涙にゆれる

   泣けば烏もカアと鳴く



   泣けばいいんだ泣けばいい

   ひとりのときは泣けばいい

   遠い誰かにとどけとばかり

   風もいっしょにむせびなく



   泣けばいいんだ泣けばいい

   苦しいときには泣けばいい

   泣いてどうなるものでもないが

   泣いてはらそう曇り空



   泣けばいいんだ泣けばいい

   泣きたいときには泣けばいい

   まぶたはらして鏡を見れば

   いつか笑いがこみあげる


   ( 谷川俊太郎 「泣けばいい」  )


東北関東大震災から5日が経ち、私が自分自身に
読み聞かせたのが、谷川俊太郎さんの「泣けばいい」という詩でした。

ほんとに今の気持ちにぴったり寄りそうようで、とても心が安らぎました。

あの地震の時、私は東京にいましたが
あんなに強く揺られて自分の命も危ういなという恐怖を感じて、

安全とか、便利とか、日常とか、家族とか、電気とか、食料とか・・・
いつも当たり前にあったものがガタガタと音を立てて崩れ去るのを
受け止めきれなくて、お腹から力が抜けちゃったみたいな状態になりました。

くよくよしてばかりもいられないし、
笑顔で力強く前に踏み出すことももちろん大事ですが、
ショックを受けた自分をまずは一度ちゃんと
受け止めてあげることもとても大事だなと思っています。

谷川俊太郎さんの詩にあるように、
泣いている人がいたら、そっと隣に寄りそって
「泣きたいときには泣けばいい」と
言ってあげることも大事じゃないでしょうか。


その後にできることが・・・


一人ひとりが自立して、自分のできることをやること。
お互い助け合って、いたわり合って、声をかけあうこと。
困難な状況の中にも明るい兆しを見つけて、ユーモア精神で楽しむこと。


だと思っています。

人間は何もなくとも、自然に笑いがこみあげてくる強い生き物です。
大変な時には無理せず、あせらず、ゆっくり寝て、
好きなことをして、ご飯を食べて、
笑いや元気がムクムクわいてくるのを待ちましょう。


春の香りがする「せり」を食べて少し元気になった ことのは山房より

2011年3月9日水曜日

今後ますます重要になる!?コール&レスポンス能力

ズバリ結論から言いますと・・・

仕事をするにも、遊びをするにも、結婚生活を営むにも、
今の時代を生きる私達にとって、コール&レスポンス能力は
とても重要になってきているな~と最近ひしひしと感じています。
しかも・・・その能力の個人差は今後ますます開いてくるだろうと。

つまり・・・

レスポンスの早い人、もしくはリアクションの良い人は
ますます楽しい刺激的な世の中になっていくだろうし、
そういう楽しいものに出会う確率が高くなるだろうし、
おもしろがって参加するから勢いもあって疲れない。

レスポンスの遅い人、もしくはリアクションがない人は
ますますつまらない世の中になっていくだろうし、
おもしろくないから、どんよりしてより一層疲れてしまう。
レスポンス能力が低いと、ますます誰からも相手に
されなくなり、置いてけぼりをくらうのは明白だと思うのです。


コールする側、情報を発信する側にまわるバイタリティが
あるならば、また話しは別ですけどね。。。


レスポンス能力が高いことが良いからといって、
テレビでもてはやされているリアクション芸人のように、
おもしろかろうが、つまらなかろうが、番組を盛り上げるために
ド派手にリアクションしろ!と言っているワケではありません。


あくまで自分の感覚で「うぁ、おもしろっ!」「何コレ!」と
思えることに反応することが大前提ですよ~
そこんとこ、お間違えなきように(笑)


今やレスポンス能力が高いというだけでは足りなくて、
世の中全体のスピード感が増してきているから
レスポンスの素早さもヒジョ~に大事です!!!


何か情報を見て気になっていたのに、また後で手の
空いた時に応募しようとか返事しよう思っていると・・・・
あっという間に他の人にチャンスが回ってしまって
「あちゃ~」と痛い思いをすることが多いんですよね。

コール&レスポンスといえば、コンサートでのかけ合いの
意味ですが、以前「ルーザー」の曲でおなじみのBeckの
ライブに行った時に、コール&レスポンスがあって、ちょっと
難しい感じのコールを投げかけられて、みんながBeckの
ラララ~♪をマネすることができなくて、
何度やってもかみ合わなかったんですね・・・

Beckはノリがいまいちな日本人のオーディエンスに愛想を
つかしたのか「GO HOME!!!!」と叫んで、アンコールもなしに
怒って帰っちゃいました(笑)

その当時の私は、チケット代を払って行ったライブで
「お前ら家帰れ!」なんて言い捨てて怒って帰るBeckはヒドイ奴
だな~と思ったんですけど、今になって考えるとBeckのお怒りは
ごもっともだなと思えてきました。

ライブ会場に自分の意思でお金を払って行ったからには、
私達オーディエンスも、その場を楽しむ努力をもうちょっと
しても良かったんじゃないかなと。。。


皆のどこかに「私はお客だから楽しませてもらう側」という
意識があったんでしょうね。でも、今の時代はもはや
「楽しませる側」「楽しむ側」という境界線もあいまいとなり、
「共に楽しむ」能力が求められてきていると思うんです。


例えば、会社という場所を自分で選んで来ている以上は、
その仕事がつまらなかろうが、どうしようもない上司がいようが、
最大限に協力し合って皆で楽しく気持ちよく仕事を終わらせるとか・・・

自分の意思で結婚や育児をすると選んだ以上は、
仕事で時間がないことやお金がないことを言い訳にせずに、
最大限に家族皆で協力し合って楽しく温かい時間を過ごすとか・・・

「素早くレスポンスする能力」と「共に楽しむ能力」が
セットになって世の中に蔓延する時、とても早いスピードで、
いろんな物事が良い方向に展開して行くのではないでしょうか。

と~っても長くなっちゃいましたが、私は今そんなことを感じています。
最後まで読んでくれたあなたは、ルーザー(負け犬)じゃないはず(笑)


2011年3月6日日曜日

銭湯の効用~ムダな羞恥心を脱いじまえ~

「がんばったり、ふんばったりすることも大事だけど、やっぱりポカーンと
何も考えずゆるむ時間も大事だね。私にとって整体などのボディーメンテ
銭湯は、至福のポカーンタイムなのだ。そしてコツコツ貯めたポカーンは
大事な場面でドカーン!!と力を発揮したい時に、起爆剤に変わるのだよ。」

と、ある日ツイッターでつぶやいた
「銭湯の効用」の続きをお話したいと思います。

銭湯に通うようになってからつくづく思うのは、
気付かないうちに地位とかプライドとか役割とか名前とか・・・
人間ってなんていろいろやっかいなものをたくさん身にまとって
生きづらくなっているんだろうということです。


その中でも最近一番ムダだと思っているのが「羞恥心」というヤツ。


特に私も含めて日本人は、人の目をやたらと気にする
ムダな羞恥心をぶ厚く着こんでいる人が多いですね。メタボの
脂肪のごとく、もう体に馴染みすぎてわからなくなっちゃってる感じ!

銭湯は見知らぬ人の前で素っ裸にならなきゃいけないという
大前提となるハードルがあり、そこが躊躇する原因のひとつにも
なっている気もしますが、それゆえおもしろい発見がいっぱいあります。

一度人前で素っ裸になるというハードルをくぐり抜ければ、
「私はなぜこんなことを恥ずかしいと思っていたんだろう??」
という目からウロコ的な悟りの境地に誰もが達するはずです(笑)

裸になれば大小の違いはあれど、だいたい付いているものは
誰でも一緒という心休まる真実に気付けるだけでも、
だいぶ気持ちがラクになるというもんです。


だって、もともと裸のまま生まれてきたのに
裸が恥ずかしいって変な話ですよね!!!


素っ裸の動物から見たら変な洋服を着ている人間のほうが
よっぽど恥ずかしいと思っているんじゃないでしょうかね??
(洋服を飼い主にムリやり着させられた犬の気持ちもしかり・・・)

でも、私が「ムダな羞恥心を脱いじまえ!」と言うのは、
裸になることだけじゃないんです。

例えば、人前に出て話したり意見を述べたりパフォーマンスする
機会が与えられた時に「私、恥ずかしいから才能がないから
ムリムリ」とか言って断ったり尻ごみする人がいますよね。
そういうのがムダな羞恥心だと思うんです。


できる可能性があるから、チャンスが回って来たのに
羞恥心を理由に断るのは、とってももったいないですよね。


これから何か「恥ずかしい」と思った時に、
「その羞恥心は本物か??」と自分を疑ったほうがいいと思います。
実際、恥ずかしいと思っていたことをやってみると、
そうでもなかったり、むしろおもしろかったり、軽やかな気分になったり、
顔は真っ赤になったり手に汗かいたり、声が上ずったりするけど、
達成感があったり、素敵な出逢いにつながったり・・・
きっとメリットのほうが断然多いと思う。

誠実さとか、美意識とか、良い意味に働く羞恥心は持っていても
いいけれど、それ以外の羞恥心は大抵誰かの目を気にした
思い込みだから、そんなものはどんどん脱ぎ捨てちゃって
もっと軽やかに失敗もたくさんしちゃえばいいんだし、
もっと恥かきながら生きていけばいいんじゃないでしょうか?