「がんばったり、ふんばったりすることも大事だけど、やっぱりポカーンと
何も考えずゆるむ時間も大事だね。私にとって整体などのボディーメンテと
銭湯は、至福のポカーンタイムなのだ。そしてコツコツ貯めたポカーンは
大事な場面でドカーン!!と力を発揮したい時に、起爆剤に変わるのだよ。」
と、ある日ツイッターでつぶやいた
「銭湯の効用」の続きをお話したいと思います。
銭湯に通うようになってからつくづく思うのは、
気付かないうちに地位とかプライドとか役割とか名前とか・・・
人間ってなんていろいろやっかいなものをたくさん身にまとって
生きづらくなっているんだろうということです。
その中でも最近一番ムダだと思っているのが「羞恥心」というヤツ。
特に私も含めて日本人は、人の目をやたらと気にする
ムダな羞恥心をぶ厚く着こんでいる人が多いですね。メタボの
脂肪のごとく、もう体に馴染みすぎてわからなくなっちゃってる感じ!
銭湯は見知らぬ人の前で素っ裸にならなきゃいけないという
大前提となるハードルがあり、そこが躊躇する原因のひとつにも
なっている気もしますが、それゆえおもしろい発見がいっぱいあります。
一度人前で素っ裸になるというハードルをくぐり抜ければ、
「私はなぜこんなことを恥ずかしいと思っていたんだろう??」
という目からウロコ的な悟りの境地に誰もが達するはずです(笑)
裸になれば大小の違いはあれど、だいたい付いているものは
誰でも一緒という心休まる真実に気付けるだけでも、
だいぶ気持ちがラクになるというもんです。
だって、もともと裸のまま生まれてきたのに
裸が恥ずかしいって変な話ですよね!!!
素っ裸の動物から見たら変な洋服を着ている人間のほうが
よっぽど恥ずかしいと思っているんじゃないでしょうかね??
(洋服を飼い主にムリやり着させられた犬の気持ちもしかり・・・)
でも、私が「ムダな羞恥心を脱いじまえ!」と言うのは、
裸になることだけじゃないんです。
例えば、人前に出て話したり意見を述べたりパフォーマンスする
機会が与えられた時に「私、恥ずかしいから才能がないから
ムリムリ」とか言って断ったり尻ごみする人がいますよね。
そういうのがムダな羞恥心だと思うんです。
できる可能性があるから、チャンスが回って来たのに
羞恥心を理由に断るのは、とってももったいないですよね。
これから何か「恥ずかしい」と思った時に、
「その羞恥心は本物か??」と自分を疑ったほうがいいと思います。
実際、恥ずかしいと思っていたことをやってみると、
そうでもなかったり、むしろおもしろかったり、軽やかな気分になったり、
顔は真っ赤になったり手に汗かいたり、声が上ずったりするけど、
達成感があったり、素敵な出逢いにつながったり・・・
きっとメリットのほうが断然多いと思う。
誠実さとか、美意識とか、良い意味に働く羞恥心は持っていても
いいけれど、それ以外の羞恥心は大抵誰かの目を気にした
思い込みだから、そんなものはどんどん脱ぎ捨てちゃって
もっと軽やかに失敗もたくさんしちゃえばいいんだし、
もっと恥かきながら生きていけばいいんじゃないでしょうか?
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