2016年2月5日金曜日

きょうのごはんはなーに?

昨年の秋くらいに、大田区の千鳥町にある絵本屋ティール・グリーンinシード ヴィレッジで、私が表紙の絵に一目惚れして買った絵本が、『きょうのごはん』(偕成社)だ。

こんがり焼けたサンマの匂いが、漂ってきそうな加藤休ミさん独特の不思議なリアリティを持った絵がそそられる。ヨネスケの『突撃! 隣の晩ごはん』という番組があったが、それの絵本版という感じで、隣の家から漂ってくるいい匂いにつられて、猫が道先案内人のようになり、読者を誘ってくれるのだ。それぞれの家庭の様子も垣間見ることができておもしろい。

夕飯のテーブルに並ぶのは、サンマやカレーライス、手作りコロッケなど、夕飯の定番ともいえるメニューたち。見ているとお腹がグーとなってしまいそうだ。

1歳11ヵ月の息子は、この絵本が気に入り「きょうのサンマよむー? 」(※正しいタイトルは『きょうのごはん』)と言い、読んでくれとせがむ。

ある時、夕飯の買い物にでかけたら、スーパーに焼いたサンマが一匹売られていてパックに入っていた。それを見つけた息子は、抱っこ紐から手を伸ばし、サンマのパックを取ってドヤ顔で買い物かごに入れたのである。これには参ってしまった。絵本のチカラは恐るべし。

先日はパパの誕生日に、お寿司を買った。息子用にと、ブリを焼いた小さなお寿司を夫がにぎり、はじめて食べたのだが、それがうれしかったらしく、最近はお寿司が出てくるページで、「こうくんも、おすし、たべたねー」と言っている。
絵本の中扉の線画のイラストで描かれた食べ物のページも好きで、自分で一つひとつ指をさしながら、「パン、バーグ、なっとう、にぎり(おにぎり)、どん(うどん)、パッタ(パスタ)、ドッグ(ホットドック)」などと言っている。なぜか「ちゃわんむし、ゆでたまご」はまだ言えない。

この絵本のおかげで、ごはんの名前をたくさん覚えることができた。

最近覚えた息子の言葉の中で傑作だったのは、「トップカード、ちょうだい、ママに! 」である。近くのスーパーのポイントカードを、夫婦でやりとりしていたのを聞いて覚えたのだろう。子どもの前で、うかつなことは言えないなと冷や冷やしている。







2016年2月4日木曜日

スタンディングスプリング!

今日は「立春」、流行りの英語で言えば、「スタンデイングスプリング」だろうか。
深い意味はなく、ただ言ってみたかっただけである。

昼間は太陽も出て、お出かけ日和。夫の提案で、あざみ野まで行き、若手の写真家として注目されている石川竜一さんの写真展を観に行ってきた。沖縄を舞台にした、ポートレイトは凄みがあり、息子も私も「こわーい」と言いながらも、独特のギラギラとした世界を堪能した。

人の表情というのは、鬼よりも生々しく怖いと思わせるものがある。石川さんは、インタビューの中で笑顔やピースサインなどをしていない無表情のほうが、その人の本質的なものがにじみ出るというようなことを言っていた。普段使われていない部分の皮膚のたるみや、姿勢や立ち姿などのクセからもその人の暮らしぶりや苦悩が、初対面ながらも写真を通して強烈に伝わってくるのだ。

前日の節分は、落花生で豆まきをした。
落花生をはじめて触った息子は、手触りが気持ちよかったらしく、手の平でころころ転がして遊んでいた。普段は、「物を投げてはいけないよ」と親に注意されているのに、「落花生を投げていいよ」と言われたのが新鮮だったようで、ケラケラ笑いながら投げて、体に当てられることも楽しんでいた。親子三人で鬼役を交代しながら豆まきを楽しんだ。

手作りの鬼のお面は、子ども向けでやわらかい表情をしたもので、ちょっと物足りない。私が子どもだった頃は、もっと強そうで怖い顔をした紙の赤いお面を使っていたのだが、最近はスーパーなどのお店に置かれているお面も、キャラクター化したようなかわいらしい鬼になってしまったのが寂しい。私が子どもを怒っている時の顔のほうが、よっぽど怖いではないか。







2016年2月3日水曜日

結婚すれば、本当に夫を所有できるのか?

1歳10ヵ月の息子は、“カッコイイブーブ”に夢中だ。
でも、世の中にはいろんな種類のカッコイイブーブがあり、あっちもいい、こっちもいいと、目移りしてしまう。それゆえ、息子は両手にブーブを持ち、その周りにも好きなブーブを並べて遊んでいる。

もしも、お友達が息子のブーブに手を出そうものなら、自分のものだと主張し、キーキー声を上げて怒るだろう。

このブーブを、「彼」に置き換えてみよう。

愛する彼を他の女に取られようものなら、付き合っていた女は怒り出し相手を責めるかもしれない。でも、付き合っている時点では、彼が他の女のところに行ってしまっても、それは相手が「心変わり」しただけで、別れてしまっても問題はないはずだ。女は「失恋」したということになる。

これが、結婚という手続きをとってしまっている状態で、他の女に取られた場合、それは「不倫」と呼ばれ、奪った女が責められ、あたかも妻に夫の所有権があるかのように、主張するのは本当に正しいのだろうか?

結婚すれば、夫を所有できるなんて、おかしな話だ。
人の心を、結婚というしばりで、独占することはできない。

息子がカッコイイブーブーに、いろいろ目移りするように、人の心もその時々で変わっていくのが当然だ。途中で飽きてしまい、手放すことだってあり得る。

運命の赤い糸で一度結ばれれば終わりではなくて、ほどけたり、離れたり、戻ってきてまた結ばれたり、別のひもが現れたり、変化するのが普通ではないだろうか。

結婚という手続きがあろうとなかろうと、お互いを信頼して寄り添って進むのが夫婦であり、結婚というものの本質だ。お互いの自由を認め、束縛せずに、つかず離れずいるのが”夫婦の定義”に近い気がする。

子どもの遊びの話に戻るが、みんなの遊び場で、誰かが先に使っているオモチャを他の子が使いたい場合、「かして」と言ってコミュニケーションするのが普通だ。

先に使っていた子は、「やだ、だめ!」と言って独り占めすることは本来許されない。みんなのオモチャであるからだ。順番に遊ぶことが周りにいる大人たちによって促されるだろう。

でも、楽しくて遊んでいるからもう少し使いたいという気持ちは認められる。そういった場合は、「あとで」ということができる。

夫だと思っいる人も、みんなのものという風に考え直してみると、「かして」「あとで」という平和的なコミュニケーションも、成り立つのかもしれない。















2016年2月2日火曜日

“赤ちゃん洗い”を卒業できない息子と、お風呂の友達

お風呂は好きなのだが、頭からシャワーのお湯をかけられるのが大嫌いな息子。毎回ものすごく泣き叫ばれるので、1歳10ヵ月の今でもひざの上に息子を抱きかかえてガーゼで洗い流す“赤ちゃん洗い”をしなければいけないのが、私の苦行のひとつである。

先輩ママに聞くと、「慣れたら平気になるから、容赦なくジャバジャバとお湯をかけたほうがいい」とアドバイスされるのだが、泣くとかわいそうで、躊躇してしまうのだ。

わが家のシャワーは、強弱の調整ができないタイプなので、いきなりシャワーで流すのは無理そうだ。桶にお湯を入れてかけるのもいいが、ちょろちょろかけるにはコントロールが難しい。子ども用のじょうろのようなものがないかな? と探していて見つけたお風呂グッズが、トイローヤルというメーカーの「おふろでジャージャーカップ」だ。

カラフルなクジラ、カニ、キンギョ、水車の大きさ違いのカップがあり、おなかに書かれた数字と同じ数の小さな穴が開いているので、じょうろのようにして遊べる。ぷかぷかとお湯の中で浮かぶ設計になっているので、足で踏んでしまうこともなく安全だ。反対にして順に重ねると、タワーのようにすることもできる。

少しでもシャワーに慣れさせたい私は、湯船につかっている間に、一番大きなクジラのカップを使って、3個の穴から出てくるちょろちょろとしたお湯を、頭からかけてやる。息子はかなり嫌がって苦痛な表情を見せるが、なんとかぎりぎり耐えられるようである。

息子は、このオモチャのおかげで、クジラちゃん、カニちゃん、キンギョちゃん、水車ちゃんという名前を言えるようになり、大きい順に重ねて入れて片づけをすることも覚えた。

どうにか慣らして、今年の夏くらいまでには、顔にお湯や水がかかっても泣かない子になってほしいとママは願っている。