1歳10ヵ月の息子は、“カッコイイブーブ”に夢中だ。
でも、世の中にはいろんな種類のカッコイイブーブがあり、あっちもいい、こっちもいいと、目移りしてしまう。それゆえ、息子は両手にブーブを持ち、その周りにも好きなブーブを並べて遊んでいる。
もしも、お友達が息子のブーブに手を出そうものなら、自分のものだと主張し、キーキー声を上げて怒るだろう。
このブーブを、「彼」に置き換えてみよう。
愛する彼を他の女に取られようものなら、付き合っていた女は怒り出し相手を責めるかもしれない。でも、付き合っている時点では、彼が他の女のところに行ってしまっても、それは相手が「心変わり」しただけで、別れてしまっても問題はないはずだ。女は「失恋」したということになる。
これが、結婚という手続きをとってしまっている状態で、他の女に取られた場合、それは「不倫」と呼ばれ、奪った女が責められ、あたかも妻に夫の所有権があるかのように、主張するのは本当に正しいのだろうか?
結婚すれば、夫を所有できるなんて、おかしな話だ。
人の心を、結婚というしばりで、独占することはできない。
息子がカッコイイブーブーに、いろいろ目移りするように、人の心もその時々で変わっていくのが当然だ。途中で飽きてしまい、手放すことだってあり得る。
運命の赤い糸で一度結ばれれば終わりではなくて、ほどけたり、離れたり、戻ってきてまた結ばれたり、別のひもが現れたり、変化するのが普通ではないだろうか。
結婚という手続きがあろうとなかろうと、お互いを信頼して寄り添って進むのが夫婦であり、結婚というものの本質だ。お互いの自由を認め、束縛せずに、つかず離れずいるのが”夫婦の定義”に近い気がする。
子どもの遊びの話に戻るが、みんなの遊び場で、誰かが先に使っているオモチャを他の子が使いたい場合、「かして」と言ってコミュニケーションするのが普通だ。
先に使っていた子は、「やだ、だめ!」と言って独り占めすることは本来許されない。みんなのオモチャであるからだ。順番に遊ぶことが周りにいる大人たちによって促されるだろう。
でも、楽しくて遊んでいるからもう少し使いたいという気持ちは認められる。そういった場合は、「あとで」ということができる。
夫だと思っいる人も、みんなのものという風に考え直してみると、「かして」「あとで」という平和的なコミュニケーションも、成り立つのかもしれない。
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