ライターとして個人プロジェクトを始めようと思い立ち、「ことのは山房」という屋号に決めて、個人名刺を作ろうと訪れたのが、銀座にある活版印刷所の「中村活字」だった。はっきりとは覚えていないのだが、何かの女性雑誌に、中村活字のお店が取り上げられていて、職人さんが活字を組んで作る、活版印刷の味のある文字で、思い入れのある名刺を刷ってもらいたいと思ったのだった。
仕事の休み時間にお店へ行き、ベルを鳴らすと店の奥から気の良さそうな声のよく通るおじさんが出てきた。それが社長の中村明久さんだった。恐る恐る、名刺を作りたいと言ってデザインを持って話しかけると、笑顔で気さくに答えてくれた。
これまで銀座といえば、買い物や食事をするちょっと敷居の高いおしゃれな大人の街だったが、この日を境に、”親戚のおじさんがいる町”というような気分になってしまった。名刺を作る以外にもフリーペーパーを置かせてもらうついでに、時々訪れては明久さんと話し込むようになった。そうするうちに、同じ中村活字の若い常連さんたちがつながっていった。
中村活字が100周年を迎えた2010年には、私も実行委員で参加し、インタビュアーとして、銀座の町内を駆け回り、撮影したのが懐かしい。当日の様子は私のブログ記事でも以前紹介した。
あれから6年。私は出産や育児に追われ、赤子と一緒に銀座へ出てくるのはなかなかハードルが高かったので、2歳になってようやく中村活字を訪れることができた。
ちょうど私と息子が訪れた日、同じ時間に、カメラを持った二人の若い男性が中村活字の前で何やら写真を撮っていた。お店の中に入って一緒に話してみると、台湾から来たお客さんだった。一人は日本で日本語の勉強をしているそうで、日本語とつたない英語で会話をした。この日は、カメラを持っている友人を案内して来たそうだ。台湾でも若い人の間で活字が見直されているらしい。
中村活字には、外国からのお客さんも多い。そして、私と同じく店の古い佇まいや中村さんや職人さんたちの顔を実際に見て話し、じわじわと魅了されていくようだった。息子は、明久さんの隣で、中村活字も載っているカトリーヌ・ルメタ著/飯田安国・ダヴィッド・ミショー 写真の『Ginza/銀座』という写真集をめくっている。
息子は、初めて見て触る、活字の名刺の束が面白かったらしく、ファイリングしてあるものから好きなものを手に取ってながめていた。いつか、息子もここで名刺を作る日が来たらいいねと、母は思うのであった。
中村活字さんのブログに、台湾のお客様が紹介されています。
台湾のお客様のブログには、なんと私と息子の写真も紹介されていました。ありがとう!
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