1歳9ヵ月の息子は、歩き盛りで私は散歩という名の“道草”に毎日付き合わされている。
今日は大みそかで、家では朝から大掃除に忙しく、あまり息子にかまってあげられなかったので、食後の散歩は好きなところへ行かせてやろうと思ったら、けっこう遠くまで歩かされてしまった・・・・・・。
急な階段をてくてく下りて、小石をマンホールの穴に落とす遊びをし、駅前で電車を見て、お気に入りのバスをベンチに座って見送って手を振り、坂道を上って帰ってきた。途中で疲れておんぶし、横断歩道など危ない場所は、抱っこをして40分くらいじっくり歩いた。
息子は家にばかりいると、キーキーキーキー奇声をあげて大変で、お互いストレスになるので、一日一回の散歩や公園遊びは欠かせない日課となっている。
私も子育てで腰痛が悪化し、歩いたほうが体がラクなので、できるだけ歩くようにしているのだ。
散歩をした後の私のお楽しみは、息子のお昼寝タイム。うまくいくと1時間~2時間くらいは寝てくれるので、その間に料理や庭仕事をしたり、パソコンを開いたり、裁縫をやったりしている。
そして、もうひとつのお楽しみがお昼寝後のおやつタイムだ。秋から冬にかけては、さつまいもをたくさん食べた。私は生まれてからこんなに芋を食べた記憶がないというくらい、過去最高に食べたと思う。さつまいもとりんごとレーズンを鍋で蒸し煮したものは息子のお気に入りで、シュタイナーの幼稚園の親子教室でも砂糖を使わないヘルシーなおやつとして、よく出される人気のメニューだ。
写真は、250度に温めたオーブンで30分焼いた自家製の焼き芋。今まではお店で買っていたが、親子でたくさん食べたいので、家でも焼くようになった。こんがりと皮が香ばしい焼き芋のおいしさは、なんとも格別である。
さて、道草つながりでひとつご報告が。横浜を拠点にデザイナーの荒澤文香さんと共に4年間活動してきた『Michi-Kusa』サイトが、年内で最後の更新を終えて、“道草納め”することになりました。これまでイベントやエッセイに参加してくださった皆さま、どうもありがとうございました。年明け後もしばらくサイトの閲覧はできるので、読み残したエッセイなどあれば、どうぞこの機会にご覧ください。
では、皆さまも、よいお年を!
来年も、気ままに『ことのは山房のポケット』のブログを更新していきますので、よろしければまた遊びにきてください。
2015年12月31日 ことのは山房
2015年12月31日木曜日
2015年12月30日水曜日
2015年、わが家の流行語大賞発表!
息子は1歳9ヵ月になり、日に日に言葉の数が増えてきた。「さしすせそ」が苦手な息子は、母音だけが前へ出て、不思議な言葉を発して私たちを笑わせる。子どもの成長はめざましく、そんな笑いを気にすることもなく、前へ前へとずんずん進んでいく。
今日、息子はついに2語文から3語文の世界へ足を踏み入れた。息子が最初に言った3語文とは、『パパ、トイレいっちゃった』であった。パパがトイレに入ったドアの音を聞きつけて今朝、息子は私にはっきりそう言ったのだ。
今年も残すところあと1日となったので、ママが勝手に審査員となり、2015年の、わが家のというか・・・・・・息子の流行語大賞を発表することにしよう!とてもひとつに絞り切れないので、金メダル・銀メダル・銅メダルも紹介したいと思う。
銅メダル:『 がっこしたいね~ぎゅ~って 』
<審査員コメント>
最近、ますます愛情表現が豊かになってきている息子は、何に対しても『がっこしたいね~ぎゅ~って』と言って両手を広げ抱きついている。道を歩いていてかっこいい車に出会うとき、大好物のコーンやチーズパンに、そして相棒のぞうのぬいぐるみパオーンちゃんに対しても、愛情を抑えきれない様子だ。情熱的なイタリア人の血でも流れているのだろうか?
銀メダル:『 レッグウーマン 』
<審査員コメント>
息子は砂場遊びが大好きで、寒い日にも近くの公園へ出かける。最近は、寒さと砂よけ対策としてママがレッグウォーマーをはかせているのだが、なぜか息子は「レッグウーマン」としか言えない。それも得意げな顔をして連呼するので、ママはおかしくて仕方がない。これと似たような言い間違えに、『イポクン』(柑橘のデコポン)がある。
金メダル:『 アンタ! 』
<審査員コメント>
秋から冬にかけて、サンタクロースの存在を徐々に知るようになった息子。街で見かけるサンタクロースの飾りや、絵本の中でサンタクロースを見つけると、うれしそうに『アンタ! アンタ! 』と言っていた。さ行が苦手な息子だが、練習の成果が出て、だんだんと『サンタ』と発音できるようになってきている。
流行語大賞: 『 デュワ・デュワ・デュ~ 』
<審査員のコメント>
息子の意味不明な言葉の中で、最もおもしろかったのが『デュワ・デュワ・デュ~』。両手の人差し指を前へ突き出し、前のめりになりながら、どこかのお笑い芸人のようなポーズをして、この言葉を発する。(わが家にはテレビがないので、お笑い番組は見ていない)
近頃は、『ママにデュワ・デュワ・デュ~』など、誰かに向けてあやしい笑みを浮かべながら言っていることもあるが、いまだに意味がよくわからない。この言葉に似た、意味不明なものに人差し指を上に突き上げながら、『ジルバー』というのもあった。
今日、息子はついに2語文から3語文の世界へ足を踏み入れた。息子が最初に言った3語文とは、『パパ、トイレいっちゃった』であった。パパがトイレに入ったドアの音を聞きつけて今朝、息子は私にはっきりそう言ったのだ。
今年も残すところあと1日となったので、ママが勝手に審査員となり、2015年の、わが家のというか・・・・・・息子の流行語大賞を発表することにしよう!とてもひとつに絞り切れないので、金メダル・銀メダル・銅メダルも紹介したいと思う。
銅メダル:『 がっこしたいね~ぎゅ~って 』
<審査員コメント>
最近、ますます愛情表現が豊かになってきている息子は、何に対しても『がっこしたいね~ぎゅ~って』と言って両手を広げ抱きついている。道を歩いていてかっこいい車に出会うとき、大好物のコーンやチーズパンに、そして相棒のぞうのぬいぐるみパオーンちゃんに対しても、愛情を抑えきれない様子だ。情熱的なイタリア人の血でも流れているのだろうか?
銀メダル:『 レッグウーマン 』
<審査員コメント>
息子は砂場遊びが大好きで、寒い日にも近くの公園へ出かける。最近は、寒さと砂よけ対策としてママがレッグウォーマーをはかせているのだが、なぜか息子は「レッグウーマン」としか言えない。それも得意げな顔をして連呼するので、ママはおかしくて仕方がない。これと似たような言い間違えに、『イポクン』(柑橘のデコポン)がある。
金メダル:『 アンタ! 』
<審査員コメント>
秋から冬にかけて、サンタクロースの存在を徐々に知るようになった息子。街で見かけるサンタクロースの飾りや、絵本の中でサンタクロースを見つけると、うれしそうに『アンタ! アンタ! 』と言っていた。さ行が苦手な息子だが、練習の成果が出て、だんだんと『サンタ』と発音できるようになってきている。
流行語大賞: 『 デュワ・デュワ・デュ~ 』
<審査員のコメント>
息子の意味不明な言葉の中で、最もおもしろかったのが『デュワ・デュワ・デュ~』。両手の人差し指を前へ突き出し、前のめりになりながら、どこかのお笑い芸人のようなポーズをして、この言葉を発する。(わが家にはテレビがないので、お笑い番組は見ていない)
近頃は、『ママにデュワ・デュワ・デュ~』など、誰かに向けてあやしい笑みを浮かべながら言っていることもあるが、いまだに意味がよくわからない。この言葉に似た、意味不明なものに人差し指を上に突き上げながら、『ジルバー』というのもあった。
2015年12月29日火曜日
いざ、日本画の迷宮へ
横浜美術館で開催中の企画展『中島清之 日本画の迷宮』の招待券が手に入ったので、一人で観に行ってきた。
前回は、開館記念日の入場無料の日で、ベビーカーに乗せた息子と、かっとばして観てしまったため、じっくり作品と向き合うことができたのは、今回が初めてだった。
大正時代に京都で生まれた中島清之(なかじまきよし)は、横浜を終の棲家とした日本画家で、関東大震災の時は、わが家のある山手で被災したという。三渓園の襖絵を手掛けたことでも知られている。
優れた描写力と、新しい技法を次々と取り入れていく柔軟性と、創作意欲は晩年まで続いていたことがその作品群からはうかがい知ることができる。
私が一番心を惹かれたのは、金箔や銀箔を使った作品たちだ。これだけ金や銀を多用すると、ギラギラし過ぎて嫌味な感じがするはずだが、清之の作品には一切それがない。本物の自然を見るよりも、絵を見たほうがよりリアルに感動が伝わってくる。物の本質を見極め、デフォルメして再構成することに秀でた作家なのだろう。
凍えるような樹木の木肌を表現した『霧氷』、燃えたぎるような赤が印象的な仏を描いた『顔』、ちあきなおみが熱唱する姿を描いた『喝采』に魅了された。
着想から50年近くたってから描かれたという『緑扇』の竹の葉が重なり合う、清涼感のあるきらめきは、圧巻である。
一人の作家が描いたとは思えない、作品の変幻ぶりを堪能していくうちに、自分を制限しているのは、他の誰でもなく“自分”であることに気づかされる。
清之の絵は、日本画という小さな枠にはまりきることのできない、自由な魂があふれていた。静かに軽やかに、着実に自分の信じた道をまい進しつづける清之の姿に、ずいぶんと励まされた。
展覧会は年内は終了しているが、来年の1月11日まで開催しているので、ぜひこの機会に観に行ってほしい。年明け初日の1月3日は、観覧料が無料となるので、初詣気分で出かけてみるのもいいだろう。
写真は、根岸森林公園の美しい紅葉のシャワー。寒さが厳しくなるにつれ、葉の色の濃さが一段と増してきた。
前回は、開館記念日の入場無料の日で、ベビーカーに乗せた息子と、かっとばして観てしまったため、じっくり作品と向き合うことができたのは、今回が初めてだった。
大正時代に京都で生まれた中島清之(なかじまきよし)は、横浜を終の棲家とした日本画家で、関東大震災の時は、わが家のある山手で被災したという。三渓園の襖絵を手掛けたことでも知られている。
優れた描写力と、新しい技法を次々と取り入れていく柔軟性と、創作意欲は晩年まで続いていたことがその作品群からはうかがい知ることができる。
私が一番心を惹かれたのは、金箔や銀箔を使った作品たちだ。これだけ金や銀を多用すると、ギラギラし過ぎて嫌味な感じがするはずだが、清之の作品には一切それがない。本物の自然を見るよりも、絵を見たほうがよりリアルに感動が伝わってくる。物の本質を見極め、デフォルメして再構成することに秀でた作家なのだろう。
凍えるような樹木の木肌を表現した『霧氷』、燃えたぎるような赤が印象的な仏を描いた『顔』、ちあきなおみが熱唱する姿を描いた『喝采』に魅了された。
着想から50年近くたってから描かれたという『緑扇』の竹の葉が重なり合う、清涼感のあるきらめきは、圧巻である。
一人の作家が描いたとは思えない、作品の変幻ぶりを堪能していくうちに、自分を制限しているのは、他の誰でもなく“自分”であることに気づかされる。
清之の絵は、日本画という小さな枠にはまりきることのできない、自由な魂があふれていた。静かに軽やかに、着実に自分の信じた道をまい進しつづける清之の姿に、ずいぶんと励まされた。
展覧会は年内は終了しているが、来年の1月11日まで開催しているので、ぜひこの機会に観に行ってほしい。年明け初日の1月3日は、観覧料が無料となるので、初詣気分で出かけてみるのもいいだろう。
写真は、根岸森林公園の美しい紅葉のシャワー。寒さが厳しくなるにつれ、葉の色の濃さが一段と増してきた。
2015年12月27日日曜日
クリスマスの余韻に、まだまだ浸る
夫も新・道草のススメ!の「偽物にもなれない」で書いていたが、ビジネスを中心に動いている世の中は、クリスマスをあれだけ盛り上げておきながら、翌日からもうさっさと正月商戦に走ってしまい、クリスマスの余韻に浸らせてくれない。
まだ幼い子どもたちにとっては、大人の都合はわからないから、急にクリスマスではなくなってしまった街を見て、何でだろうと不思議に思うだろう。
息子もようやく「アンタ」から「サンタ」と言えるようになってきて、トナカイのこともわかってきたところなので、もう少し親子で余韻に浸るつもりだ。
今年のクリスマスを美しい絵を言葉で彩ってくれた“名わき役”の絵本とともに!
夫が、小さな息子にもわかる絵本をと探してきてくれた『クリスマスまえのよる』(主婦の友社)は、長ぐつサイズの縦長の形をしたクリスマスの絵本だ。アメリカの詩人でクレメント・C・ムーアの詞に、絵本作家でテキスタルデザイナーでもあるロジャー・デュボアザンが絵を描いている。
えんとつからサンタクロースが落ちてくるシーンや、屋根の上をトナカイとそりにのったサンタクロースが駆け上がっていくシーンは、躍動感があり読んでいる私もついつい力が入って興奮してしまう。シンプルなことばで表現している、翻訳のこみやゆうさんの力も大きいのだろう。こみやさんは、阿佐ヶ谷で家庭文庫「このあの文庫」をやっているそうで、そちらも気になっている。
まるぽっちゃとしたサンタクロースの姿や、暖炉の上にかけられたくつした、くつしたの中に入ったたくさんのプレゼント、美しく飾られたクリスマスツリーなど、クリスマスのイメージがすべてこの一冊につまっているのだ。19世紀に生まれたというクレメントの詞は、色あせることなく今も人々に夢を与え続けている。
子どもの頃にこんな絵本を読んでもらいたかったな・・・・・と、ちょっと息子をうらやましく思いながら、私も一緒にクリスマスの美しい情景に浸りながら余韻を楽しもうと思う。
まだ幼い子どもたちにとっては、大人の都合はわからないから、急にクリスマスではなくなってしまった街を見て、何でだろうと不思議に思うだろう。
息子もようやく「アンタ」から「サンタ」と言えるようになってきて、トナカイのこともわかってきたところなので、もう少し親子で余韻に浸るつもりだ。
今年のクリスマスを美しい絵を言葉で彩ってくれた“名わき役”の絵本とともに!
夫が、小さな息子にもわかる絵本をと探してきてくれた『クリスマスまえのよる』(主婦の友社)は、長ぐつサイズの縦長の形をしたクリスマスの絵本だ。アメリカの詩人でクレメント・C・ムーアの詞に、絵本作家でテキスタルデザイナーでもあるロジャー・デュボアザンが絵を描いている。
えんとつからサンタクロースが落ちてくるシーンや、屋根の上をトナカイとそりにのったサンタクロースが駆け上がっていくシーンは、躍動感があり読んでいる私もついつい力が入って興奮してしまう。シンプルなことばで表現している、翻訳のこみやゆうさんの力も大きいのだろう。こみやさんは、阿佐ヶ谷で家庭文庫「このあの文庫」をやっているそうで、そちらも気になっている。
まるぽっちゃとしたサンタクロースの姿や、暖炉の上にかけられたくつした、くつしたの中に入ったたくさんのプレゼント、美しく飾られたクリスマスツリーなど、クリスマスのイメージがすべてこの一冊につまっているのだ。19世紀に生まれたというクレメントの詞は、色あせることなく今も人々に夢を与え続けている。
子どもの頃にこんな絵本を読んでもらいたかったな・・・・・と、ちょっと息子をうらやましく思いながら、私も一緒にクリスマスの美しい情景に浸りながら余韻を楽しもうと思う。
2015年12月26日土曜日
神のみぞ知る?クーパーブラックの贈り物
この曲は『ペットサウンズ』という有名なアルバムに入っているのだが、夫と付き合っている頃に、二人で部屋で聴いていた。学生時代に合唱部やアカペラサークルに入っていた夫は、若い頃に自分でキーボードをたたきながら多重録音したという「God Only Knows」のMDをもっていた。私が知らない時代の若々しい歌声に、なんだか感動したのだった。
息子を喜ばせようと、クリスマスのプレゼントを連日探し歩いてくれていた夫に、何かプレゼントを贈りたいと思っていた私は、切り絵プリントでオリジナルの長袖Tシャツを作ることにした。
クセのあるレコードジャケットのようなフォントを探していたのだが、ふと思い出したのが『ペットサウンズ』の丸みのある文字だった。調べてみると、あのフォントはクーパーブラックというそうだ。
夫が編集している文芸雑誌『アフリカ』の公式ウェブサイトのタイトルである、オールアバウトアフリカンナイトの文字を、クッキングペーパーに写し取り、切り絵プリントの色紙にホッチキスでとめて、カッターで切り抜く作業は息子が昼寝しているわずかな時間でやった。夫のトレードマークである、メガネもだまし絵風につけることにした。
クリスマスイブに疲れてうっかり息子と寝てしまったので、アイロンでプリントしたのは、クリスマスの早朝だった。後ろには、本のシルエットと息子の好きなパオーンちゃん(ゾウ)のワッペンを貼り、鉛筆を持たせてみた。
Tシャツと一緒に無地の紺色のスウェットもプレゼントしたのだが、こちらにも同じパオーンちゃんのワッペンを胸につけた。着てみた夫は、予想通り息子にモテていた(笑)。
キラッキラー、元気!
「キラッキラー、元気! ウィーアー、元気! 」
これは、1歳9ヵ月の息子と私の間で流行っている陽気な“呪文”である。家の中や街を歩いている時にいきなり息子の口から出てくるので、初めて聞く人には何を言っているかさっぱり意味がわからないだろう。
クリスマスのイルミネーションやクリスマスツリーの飾りなど、この季節ならではのキラキラと輝く美しいものに出会う機会が多くなるが、そういうものを見つけるたびに「キラッキラーきれいだね! 」と私はよく言っていたのだが、それがいつの間にか「キラキラー、元気! ウィーアー、元気! 」という呪文に変化していったのだった。
わが家にあるキラッキラーは、小さなものばかり。LEDで光る手のひらサイズのミニツリーや、同じくLEDで顔の部分が光る小さなスノーマン、ガラス窓に貼った雪の結晶のホログラムシールくらい。光るものは子どもにはまだ刺激が強すぎるので、ずっとつけっぱなしにするのではなく、クリスマスの絵本を読む前や、夜寝る前などちょっと特別な時だけにしている。
今日はクリスマスだったので、特別に照明を消して暗くして、キラッキラーをつけながら息子の大好きな「あわてんぼうのサンタクロース」を家族で歌った。
写真は、伊勢佐木町モールにある珈琲焙煎問屋の「まめや」にいた長老の? サンタさん。息子もクリスマスの朝にプレゼントをもらったばかりだったので、サンタさんにお礼を言えてうれしかったようだ。
キラッキラーもそうだが、サンタクロースも街を歩いているとたくさんの種類を見つけることができておもしろい。子どもも大人も、自分の心に思い描くサンタさんに一番近いものはどれかな? と探してみるのもいいだろう。
これは、1歳9ヵ月の息子と私の間で流行っている陽気な“呪文”である。家の中や街を歩いている時にいきなり息子の口から出てくるので、初めて聞く人には何を言っているかさっぱり意味がわからないだろう。
クリスマスのイルミネーションやクリスマスツリーの飾りなど、この季節ならではのキラキラと輝く美しいものに出会う機会が多くなるが、そういうものを見つけるたびに「キラッキラーきれいだね! 」と私はよく言っていたのだが、それがいつの間にか「キラキラー、元気! ウィーアー、元気! 」という呪文に変化していったのだった。
わが家にあるキラッキラーは、小さなものばかり。LEDで光る手のひらサイズのミニツリーや、同じくLEDで顔の部分が光る小さなスノーマン、ガラス窓に貼った雪の結晶のホログラムシールくらい。光るものは子どもにはまだ刺激が強すぎるので、ずっとつけっぱなしにするのではなく、クリスマスの絵本を読む前や、夜寝る前などちょっと特別な時だけにしている。
今日はクリスマスだったので、特別に照明を消して暗くして、キラッキラーをつけながら息子の大好きな「あわてんぼうのサンタクロース」を家族で歌った。
写真は、伊勢佐木町モールにある珈琲焙煎問屋の「まめや」にいた長老の? サンタさん。息子もクリスマスの朝にプレゼントをもらったばかりだったので、サンタさんにお礼を言えてうれしかったようだ。
キラッキラーもそうだが、サンタクロースも街を歩いているとたくさんの種類を見つけることができておもしろい。子どもも大人も、自分の心に思い描くサンタさんに一番近いものはどれかな? と探してみるのもいいだろう。
2015年12月24日木曜日
クリスマスイブの奇跡
クリスマスイブの昼間に、買い物へ出かけた帰り道。急にトイレに行きたくなって、駅で借りることにした。トイレから出て手を洗っていると、隣に見覚えのある顔の女性がいた。
妊娠中に勤めていた保育園で、一緒に働いていた先生だった。まだ息子が赤ちゃんだった頃に一度家に遊びに来てくれたのだが、それ以来、連絡先を忘れてしまい会えずじまいになっていたのだった。その先生も、私のことが気になっていたらしく、会いたいなと思ってくれていたらしい。
クリスマスイブの奇跡は、トイレで起きた。
その時、私は携帯電話を家に忘れてきてしまっていたため、駅員さんにボールペンを借りて、財布の中にあったレシートに電話番号をメモした。
そして、今度は息子を連れて、その先生の家に遊びに行く約束をして別れた。
写真は、わが家の玄関のドアに飾った手作りのリース。丸く切った厚紙にフェルトを貼り、妊娠中の散歩道で拾っていた小枝を折ってボンドで接着し、木の実をぐるっと巻き付けただけの簡素なものだが、なかなか気に入っている。
妊娠中に勤めていた保育園で、一緒に働いていた先生だった。まだ息子が赤ちゃんだった頃に一度家に遊びに来てくれたのだが、それ以来、連絡先を忘れてしまい会えずじまいになっていたのだった。その先生も、私のことが気になっていたらしく、会いたいなと思ってくれていたらしい。
クリスマスイブの奇跡は、トイレで起きた。
その時、私は携帯電話を家に忘れてきてしまっていたため、駅員さんにボールペンを借りて、財布の中にあったレシートに電話番号をメモした。
そして、今度は息子を連れて、その先生の家に遊びに行く約束をして別れた。
写真は、わが家の玄関のドアに飾った手作りのリース。丸く切った厚紙にフェルトを貼り、妊娠中の散歩道で拾っていた小枝を折ってボンドで接着し、木の実をぐるっと巻き付けただけの簡素なものだが、なかなか気に入っている。
2015年12月23日水曜日
イポクン?
冬はいろいろな柑橘類が出回る季節。最近、息子は毎日のように「みかん」を食べている。皮をむく作業は指先を器用にしてくれるし、一粒ずつよく噛んで食べる練習になっていい。私は、お出かけの時にバックにひとつ忍ばせておき、ジュースがわりに食べさせている。
鹿児島の義母から私の実家に立派な「デコポン」が届いたそうで、少しだけおすそ分けしてもらった。おへそのある大きなデコポンを見た息子は、「みかん、おっきーねー!」と目を丸くしていた。
「デコポンっていう名前のみかんだよ」と教えたのだが、発音が難しいらしく「イポクン」などと言ってニヤニヤしている。まぁ、ニュアンスはだいたい合っているね(笑)。ちなみに、「みかん」と「ゆず」は言えている。
写真は、わが家の冬至の「ゆず」。お正月のお雑煮用に皮をほとんど剥いて冷凍してしまったので、ゆずとは思えない不思議な物体になってしまっているが、ゆず湯で香りは十分楽しめた。
お風呂でゆずの香りに満たされていると、心と体が寒さで凝り固まってしまっていたことに気づかされる。「一年間お疲れさま」と、ねぎらってくれているかのように、ゆず独特の色と香りには、明るく穏やかな気持ちにしてくれるような、“もみほぐす”作用がある気がするのだ。
鹿児島の義母から私の実家に立派な「デコポン」が届いたそうで、少しだけおすそ分けしてもらった。おへそのある大きなデコポンを見た息子は、「みかん、おっきーねー!」と目を丸くしていた。
「デコポンっていう名前のみかんだよ」と教えたのだが、発音が難しいらしく「イポクン」などと言ってニヤニヤしている。まぁ、ニュアンスはだいたい合っているね(笑)。ちなみに、「みかん」と「ゆず」は言えている。
写真は、わが家の冬至の「ゆず」。お正月のお雑煮用に皮をほとんど剥いて冷凍してしまったので、ゆずとは思えない不思議な物体になってしまっているが、ゆず湯で香りは十分楽しめた。
お風呂でゆずの香りに満たされていると、心と体が寒さで凝り固まってしまっていたことに気づかされる。「一年間お疲れさま」と、ねぎらってくれているかのように、ゆず独特の色と香りには、明るく穏やかな気持ちにしてくれるような、“もみほぐす”作用がある気がするのだ。
2015年12月21日月曜日
はじめての『おふろやさん』
この絵本を読み聞かせ始めたのは、生後5ヵ月くらいだったろうか・・・・・・。
西村繁男 作の『おふろやさん』(福音館書店)は、私の友人からおさがりでもらったものだが、もう飽きるほど読んだ息子のお気に入りの一冊のひとつだ。
これまでにも、息子は鹿児島や箱根での家族旅行で温泉に入ったことはあったが、まだ町の「おふろやさん」に行ったことはなかった。
私たち夫婦の行きつけのおふろやさんである、山手駅近くの「いなり湯」は、驚くほど絵本の『おふろやさん』によく似ている昔ながらの銭湯なので、息子を早く連れて行ってやりたい思っていたのだ。
銭湯好きな私は年明けの初湯まで待ち切れず、冬至のゆず湯に息子をはじめて「おふろやさん」へ連れて行くことにした。冬至の当日が銭湯の定休日ということで、一日前倒しでのゆず湯となった。
下駄箱に靴を入れるまではよかったのだが、一緒に入れると思っていたパパと男湯で別れてしまったため、女湯で「パパー! 」と泣き叫ぶアクシデントが発生した。周りのおばあちゃんたちが、ゆずの実をエサにして、息子をあやしてくれたので、どうにか泣き止んでゆず湯に親子でつかることができた。
『おふろやさん』の絵本には、文字がほとんどなく、ほぼ絵だけ。なので、これまでは私が絵から連想したオリジナルの文やセリフを作り、効果音などを交えながら読み聞かせていたのだった。
息子は、絵本と同じように富士山の絵が描かれてあること、赤と青の水道の蛇口があること、脱衣かごがあることを発見し、興味津々にあたりをキョロキョロ見回してうれしそうだった。一番興味を示したのは、男湯にあった水槽の金魚だったとか。
息子は、ゆずの実が浮かんでいるのを見て、大好きなみかんだと勘違いして、一瞬かじろうとしていたが(笑)みかんではなく、香りのよいゆずだと教えると、クンクン匂いをかいでは桶の中に浮かべて遊んでいた。
銭湯から出た後に、おなかがすいてきたので、「おやつに焼き芋を買って帰る」と言って仕事へ行く夫と別れたのだが、そういえば『おふろやさん』の絵本の最後もそうだったと思い出し、笑ってしまった。無意識のレベルで、ストーリーが私の中に刷り込まれていたようだ。
写真は、ゆず湯から帰ってから家で絵本を手にしているところ。おさらいするように、何度も読んでとせがまれた。
西村繁男 作の『おふろやさん』(福音館書店)は、私の友人からおさがりでもらったものだが、もう飽きるほど読んだ息子のお気に入りの一冊のひとつだ。
これまでにも、息子は鹿児島や箱根での家族旅行で温泉に入ったことはあったが、まだ町の「おふろやさん」に行ったことはなかった。
私たち夫婦の行きつけのおふろやさんである、山手駅近くの「いなり湯」は、驚くほど絵本の『おふろやさん』によく似ている昔ながらの銭湯なので、息子を早く連れて行ってやりたい思っていたのだ。
銭湯好きな私は年明けの初湯まで待ち切れず、冬至のゆず湯に息子をはじめて「おふろやさん」へ連れて行くことにした。冬至の当日が銭湯の定休日ということで、一日前倒しでのゆず湯となった。
下駄箱に靴を入れるまではよかったのだが、一緒に入れると思っていたパパと男湯で別れてしまったため、女湯で「パパー! 」と泣き叫ぶアクシデントが発生した。周りのおばあちゃんたちが、ゆずの実をエサにして、息子をあやしてくれたので、どうにか泣き止んでゆず湯に親子でつかることができた。
『おふろやさん』の絵本には、文字がほとんどなく、ほぼ絵だけ。なので、これまでは私が絵から連想したオリジナルの文やセリフを作り、効果音などを交えながら読み聞かせていたのだった。
息子は、絵本と同じように富士山の絵が描かれてあること、赤と青の水道の蛇口があること、脱衣かごがあることを発見し、興味津々にあたりをキョロキョロ見回してうれしそうだった。一番興味を示したのは、男湯にあった水槽の金魚だったとか。
息子は、ゆずの実が浮かんでいるのを見て、大好きなみかんだと勘違いして、一瞬かじろうとしていたが(笑)みかんではなく、香りのよいゆずだと教えると、クンクン匂いをかいでは桶の中に浮かべて遊んでいた。
銭湯から出た後に、おなかがすいてきたので、「おやつに焼き芋を買って帰る」と言って仕事へ行く夫と別れたのだが、そういえば『おふろやさん』の絵本の最後もそうだったと思い出し、笑ってしまった。無意識のレベルで、ストーリーが私の中に刷り込まれていたようだ。
写真は、ゆず湯から帰ってから家で絵本を手にしているところ。おさらいするように、何度も読んでとせがまれた。
2015年12月20日日曜日
バック・トゥ・ザ・中学生!
今年は節目の年齢に達したということで、中学校の同窓会が大々的に行われた。
私は残念ながら行けなかったのだが、親友が声をかけてくれて、中学校時代の同じ塾だった子だけを集めた小さな同窓会を開こうということになった。
男女2人ずつの合計4人の同窓会だったが、当時他にも通っていた別の中学の子の名前や先生の名前や、今では考えられないような塾での仰天エピソードが次々出てきて、脳は記憶を呼び戻そうと、フル回転状態だった。
中学生といえば、思春期真っ只中。あの子がかわいかった、かっこよかった。モテた。どの子とどの子が付き合っていた、という話もたくさん出てくる。ただのバカ話で盛り上がれるのが、中学の同級生のいいところかもしれない。
話し方や、声、身のこなし、その人の持つ雰囲気というものは、すでに中学時代くらいにはほぼ完成しているのだろうか・・・・・・久しぶりに会って、着るものや髪形が変わっても、話していると当時のままのように思えてくる。
そんな中、風の便りで聞いていた同級生の動画を何中十年ぶりか目にした。
幼稚園とエレクトーン教室と、中学の軟式テニスクラブで一緒だった背の高いやさしい男の子は、プロのギタープレイヤーとなって、海外で暮らしているそうだ。いつか日本で生の演奏を聴いてみたい。
私は残念ながら行けなかったのだが、親友が声をかけてくれて、中学校時代の同じ塾だった子だけを集めた小さな同窓会を開こうということになった。
男女2人ずつの合計4人の同窓会だったが、当時他にも通っていた別の中学の子の名前や先生の名前や、今では考えられないような塾での仰天エピソードが次々出てきて、脳は記憶を呼び戻そうと、フル回転状態だった。
中学生といえば、思春期真っ只中。あの子がかわいかった、かっこよかった。モテた。どの子とどの子が付き合っていた、という話もたくさん出てくる。ただのバカ話で盛り上がれるのが、中学の同級生のいいところかもしれない。
話し方や、声、身のこなし、その人の持つ雰囲気というものは、すでに中学時代くらいにはほぼ完成しているのだろうか・・・・・・久しぶりに会って、着るものや髪形が変わっても、話していると当時のままのように思えてくる。
そんな中、風の便りで聞いていた同級生の動画を何中十年ぶりか目にした。
幼稚園とエレクトーン教室と、中学の軟式テニスクラブで一緒だった背の高いやさしい男の子は、プロのギタープレイヤーとなって、海外で暮らしているそうだ。いつか日本で生の演奏を聴いてみたい。
2015年12月19日土曜日
生きているクリスマスツリーを
去年のクリスマスはまだ赤ちゃんだった息子も1歳9ヵ月になり、だいぶいろいろなことがわかってきた。物心ついて初めて目にするクリスマスツリーは、どんなものがいいか私はいろいろ考えた。
デパートなどのお店を巡ってみたところ、クリスマスツリーに似せて作られた造花的なものはたくさんあったのだが、どうもそれらを買う気持ちにはなれなかった。
葉が固かったり、先がとがっていたりして、幼児がいる家には向かなそうだったのだ。そもそも似せて作られたものだから、当たり前だが本物ではなく“生気”にかけていた。
とはいえ、本物のモミの木を私はしっかり見た覚えがなかった。モミの木でクリスマスツリーがあったらいいのになと思っていたところ、アメリカのオレゴン州から輸入した生のモミの木を使って、小さなクリスマスツリーを作るというワークショップを近所の掲示板で見つけたのだった。値段はなんと1300円というお手頃価格だったので、すぐに飛びついた(笑)。
鉢の中央に円錐状にカットしたオアシスを入れて、トップにはクジャクヒバを挿し、丸みのある不思議な形をしたモミの木と、細かな葉のスギを組み合わせて、円錐状にバランス良く挿していきツリーを作った。モミの木は、ハサミで切ると樹液が出てきて、作業をしているととてもいい香りに包まれた。樹液だけではなく、ポロポロと落ちた針のような葉も香るので、イギリスでは布袋など集めて、靴の中や枕元などに入れて芳香剤的に使うそうだ。
息子は途中でぐずり騒ぎだして、最後は私におんぶされての強制参加だったが、本物のモミの木を触ってクリスマスツリー作りを作る過程を目の前で見るという貴重な体験をすることができた。
家に帰ってきてから、息子と一緒に本物の松ぼっくりをワイヤーでくくりつけ、トップにはベルをつけ、赤い実の形をした小さな飾りやシルバーの雪の結晶を飾り付けて無事に完成した。
息子のオモチャ棚の上に飾られたツリーは、オモチャやスノーマンやブーツなども添えて物語が今にも始まりそうな雰囲気だ。「生きているクリスマスツリー」は、11月の中旬に作ったものだが、2週間ごとにオアシスに水をかけてやるだけで、来年の2月くらいまではグリーンのまましばらく楽しめるという。
デパートなどのお店を巡ってみたところ、クリスマスツリーに似せて作られた造花的なものはたくさんあったのだが、どうもそれらを買う気持ちにはなれなかった。
葉が固かったり、先がとがっていたりして、幼児がいる家には向かなそうだったのだ。そもそも似せて作られたものだから、当たり前だが本物ではなく“生気”にかけていた。
とはいえ、本物のモミの木を私はしっかり見た覚えがなかった。モミの木でクリスマスツリーがあったらいいのになと思っていたところ、アメリカのオレゴン州から輸入した生のモミの木を使って、小さなクリスマスツリーを作るというワークショップを近所の掲示板で見つけたのだった。値段はなんと1300円というお手頃価格だったので、すぐに飛びついた(笑)。
鉢の中央に円錐状にカットしたオアシスを入れて、トップにはクジャクヒバを挿し、丸みのある不思議な形をしたモミの木と、細かな葉のスギを組み合わせて、円錐状にバランス良く挿していきツリーを作った。モミの木は、ハサミで切ると樹液が出てきて、作業をしているととてもいい香りに包まれた。樹液だけではなく、ポロポロと落ちた針のような葉も香るので、イギリスでは布袋など集めて、靴の中や枕元などに入れて芳香剤的に使うそうだ。
息子は途中でぐずり騒ぎだして、最後は私におんぶされての強制参加だったが、本物のモミの木を触ってクリスマスツリー作りを作る過程を目の前で見るという貴重な体験をすることができた。
家に帰ってきてから、息子と一緒に本物の松ぼっくりをワイヤーでくくりつけ、トップにはベルをつけ、赤い実の形をした小さな飾りやシルバーの雪の結晶を飾り付けて無事に完成した。
息子のオモチャ棚の上に飾られたツリーは、オモチャやスノーマンやブーツなども添えて物語が今にも始まりそうな雰囲気だ。「生きているクリスマスツリー」は、11月の中旬に作ったものだが、2週間ごとにオアシスに水をかけてやるだけで、来年の2月くらいまではグリーンのまましばらく楽しめるという。
2015年12月17日木曜日
パパに!!
パパの「新・道草のススメ」でも紹介されていた、息子の相棒パオーンちゃん(ゾウのパペット)。外出中にうっかり落として失くしてしまったパオーンちゃんだが、パパが2代目を買って、無事に夜に連れて帰ってきてくれて、私もほっと胸をなでおろしたところだ。失くすと大変なので、今後はしばらく外出禁止にする予定。
「パパが今夜パオーンちゃんを連れて帰ってきてくれるよ」と私が言うと、息子はよほどうれしかったのだろう、「パーンちゃん、パオーンちゃん」と叫んだ。
そして、遊んでいた赤い積木を重ねて「ケーキ、パパに!! 」と言った。ちょっと誇らしげに胸を張り、後ろに手をくんでながめていた。猫の編みぐるみがホイップクリームのように見えたので私がちょこんと上に添えてみた。
それはそれは、おいしそうなケーキだった。パパが見たら喜ぶかな?
2015年12月16日水曜日
喪中に物申す!?
去年は年賀状の準備が遅く年明けから書き始めたので、今年こそは早めに出そうとデザインを決めて早々に注文した。でも、なぜかそういう年に限って喪中のハガキが続々届き夫婦そろってがっかりしている。
喪中ハガキの中には「祖母が百歳で亡くなった」と書かれたものもあった。それを見た瞬間、私の中に怒りがわいたのだった。
「百歳まで生きたら、喪に服すよりも、むしろ祝ってやるべきなんじゃないか!? 」
いったい人間は、何歳まで生きたら満足し、人々から祝福されるのだろうか? 赤ちゃんが生まれるなど誕生はめでたく、死は悲しむべきものという固定概念を疑うことすらないのかもしれない。
近しい人間が亡くなり、悲しいという経験はもちろん私にもある。大好きだった母方の祖母が病気で57歳という若さでこの世を去った時、私は中学1年生だったが、泣いて高熱を出して寝込むほど深く落ち込みなかなか立ち直れなかった。
だから、喪に服す気持ちがわからないではないが、せいぜい亡くなって45日くらい喪に服せば十分なのではないかと思う。
喪中だからといって、本当に喪に服しているわけではなく、いつもと変わらない晴れやかな気持ちで正月を迎えている人がほとんどだろうとは思うのだが・・・・・・
写真は、11月に鹿児島の家族と行った箱根旅行での一枚。義母が一度見てみたいと言っていた念願の富士山である。少し雲はかかっていたが美しかった。いつもこんな晴れやかな気分で、一年一年歳を重ねたいものである。
喪中ハガキの中には「祖母が百歳で亡くなった」と書かれたものもあった。それを見た瞬間、私の中に怒りがわいたのだった。
「百歳まで生きたら、喪に服すよりも、むしろ祝ってやるべきなんじゃないか!? 」
いったい人間は、何歳まで生きたら満足し、人々から祝福されるのだろうか? 赤ちゃんが生まれるなど誕生はめでたく、死は悲しむべきものという固定概念を疑うことすらないのかもしれない。
近しい人間が亡くなり、悲しいという経験はもちろん私にもある。大好きだった母方の祖母が病気で57歳という若さでこの世を去った時、私は中学1年生だったが、泣いて高熱を出して寝込むほど深く落ち込みなかなか立ち直れなかった。
だから、喪に服す気持ちがわからないではないが、せいぜい亡くなって45日くらい喪に服せば十分なのではないかと思う。
喪中だからといって、本当に喪に服しているわけではなく、いつもと変わらない晴れやかな気持ちで正月を迎えている人がほとんどだろうとは思うのだが・・・・・・
写真は、11月に鹿児島の家族と行った箱根旅行での一枚。義母が一度見てみたいと言っていた念願の富士山である。少し雲はかかっていたが美しかった。いつもこんな晴れやかな気分で、一年一年歳を重ねたいものである。
2015年12月15日火曜日
切手を貼らずに届くポスト
動物のDVDや絵本を見て、だんだんと動物の名前を言えるようになってきた息子。年内に動物園に連れて行きたいねと言って、家族三人で久しぶりに野毛山動物園へ出かけた。
12月の寒さであまり活発でなくなってきた動物たちをのんんびり見て回り、お目当てのキリンにも会うことができた。ライオンとトラは居眠り中。
園内を回っていたら、お化けのような白い物体が描かれた黒い木のポストを発見した。白い部分はくりぬかれ金属の網の目になっていた。箱の横には南京錠がものものしくかけられていた。
一体どんなお宝が入っているのだろうとのぞいてみると、「どんぐりポスト」だった。
どんぐりポストの後ろには、そういえば冬眠中のクマもいた。
園内にはたくさんの木々があるので、歩いていると時々どんぐりも転がっている。でも、えさをあげていいのは飼育員だけなので、このポストに入れてほしいとのことだ。みんなが集めたどんぐりは、園内の動物たちに配られるという。
息子もこの秋たくさんのどんぐりを拾ったので、ここに持ってくればよかったな。
2015年12月14日月曜日
手しごとをはじめる
息子は12月12日で1歳9ヵ月になった。
子育てしていると、時間が飛ぶように過ぎていってしまう。ブログもなかなか書けずにいたが、「ことのは山房のポケット」へとリニューアルして、手しごとで少しずつ今後は更新していく予定だ。子育て中につき、難しいことは抜きにしている。
1年9ヵ月日々息子と格闘する中で、私もできること、できないことがだいぶ見えてきた気がする。やらなきゃいけないことや、家族のことを優先させる日々から少しずつでも 〝自分のやりたいこと”をする時間を作らなければ心が死んでしまいそうだった。
そんな中で出会ったのが、シュタイナー教育を行っている幼稚園での「親子クラス」。2歳を待たずに秋頃から週1回息子と通っている。
子どもを部屋で遊ばせながら、私は先生から季節ごとの「手しごと」を習っている。
想像力を働かせながら、手先を動かすしごとは、私には合っていたようだ。
写真は、12月の初めに手しごとで作った「りんごろうそく」。
紅玉のりんごを、ふきんで磨きピカピカにする。蜜蝋をとかした生あたたかい液の中に、芯をぽちゃんとひたして、ゆっくりと引き上げることを何度か続けるうちに先細りの手作りろうそくも完成した。本物のかぐわしいモミの木の葉も添えている。
赤は、キリストの血とも言われ生命力を感じるチカラを宿している。
すべてを丸くやさしく包み込んでくれるりんごのフォルムと、すっとまっすぐ天へ向かって伸びるろうそく。その姿を見ているだけで、心の内側にぽっとちいさなあかりが灯るようだ。