2011年12月31日土曜日

2011年最後に手に取った赤い実

2011年がもうすぐ終わろうとしていますね。
卯年で年女だった私は、「ぴょんぴょん飛び回る年にしよう!」などと、
例年以上に勢いづいていました。東日本大震災が起きて、そんな浮かれ
モードではいられないかもしれないと思えた3月・4月…。

世の中が重く沈んだどん底であっても、動き出したい気持ちでいっぱい
だった私は、横浜のクリエイターユニットで『Michi-Kusa』を立ち上げて、
ゲストや友人の助けを得ながら、こわばった震災後の心を体を
癒すカフェイベントを5月の終わりに開催しました。

それと同時に、地元神奈川県の情報発信をする
「かなマグ」のライターのお仕事もスタートしました。

震災後の混乱した状況の中で、心を静めてくれる詩や
音楽のありがたさを痛感していた私は、ポエトリーリーディング
のオリジナル映像作品の制作にも取り組みました。

秋にはブラフ18番館で、生ピアノの演奏とともに
朗読コンサートを開くこともでき、
自分の新しい可能性を試せたのも、大きな経験になりました。

秋から年末にかけては、人生の転機になるような
大きな出逢いや出来事があり、
ジェットコースターに乗るようなエキサイティングな毎日を過ごし、
とても満たされた気分の中で、運命の波にのまれる覚悟を決めました。
今は来年に向けて思い描いた夢を実現すべく、
一歩一歩前へ進んでいるところです。

そんな中で、お正月飾りは何にしようかな?と、
お花屋さんをのぞいたのですが、来年のことを思い描いていると、
「松」のように「待っている」気分ではなく、
赤くつややかな実をつけた「南天」に自然と手が伸びました。

「南天」は、「難を転ずる」という音の響きが似ていることから、
縁起のよい木として、庭などによく植えられるそうです。

これまで流したたくさんの涙も、どうしようもない悔しさも、激しい怒りも…
「すべては実りの季節を迎えるためにあったんだなだなぁ」と、
来年笑って振りかえることができたらいいなと、
「南天」の実に小さな祈りを込めました。

皆さんにとっても、来年がよい年でありますように。
今年一年間、ことのは山房にお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。

2011年12月31日 ことのは山房

2011年12月16日金曜日

文芸誌『アフリカ』クリスマス号に、男女にまつわるエッセイを執筆<好評発売中>

私がやっているカフェイベント『Michi-Kusa』つながりのご縁で、
道草家で小説などを書いている下窪俊哉さんと知り合い、
下窪さん自ら編集やデザインを手掛けている文芸誌『アフリカ』に
エッセイを執筆することになりました。

『アフリカ』は、2006年に当時下窪さんが住んでいた大阪でスタートしました。
小説やエッセイ、詩、写真、漫画などいろんなジャンルのお楽しみが混ざり
合った小さな読み物として、細く長~く愛されているユニークな雑誌です。

自分の心の底をのぞかれているのでは!?と思うような、
なんだかとても共感できるストーリーや、今を生きる人々の日々の思いが
綴られていて、他人事とは思えない・・・そんな雑誌です。
普段あまり小説や雑誌など読まない私ですが、1冊読んで
「何これ~おもしろいじゃん!」と、とても気に入ってしまい、
バックナンバーを取り寄せてじっくり味わうように、
すみずみまで愛読しております(笑)

文芸誌ながらも、押しつけがましいことはなく、
気楽に付き合えるところが魅力ですね。
ところどことに散りばめられた下窪さんのユーモア精神も
いい味を出していて、思わずクスッと笑ってしまいます。

若草色をしたクリスマス号には、いろんなシチュエーションの
男女の姿が描かれています。
私は「男と女は、話せばあかりあえるのか?」というお題で、
エッセイを書きました。

お友達にも話したことがないし、自分のブログにも書いたことのない、
とてもプライベートなエピソードも盛り込んでいて、正直書くのがつらかった。

そして、ちょっと恥ずかしくもあるけれど、多分今ちゃんと言葉にして
整理しておく必要があったことなのでしょう。大切な人とすれ違って
悲しい思いをする前に、ぜひ読んでほしいエッセイです。

クリスマスにふさわしい、温かい話や男女のエピソードも多い
『アフリカ』クリスマス号。
大切な誰かに、そして自分自身に、プレゼントしてみてはいかがでしょう?

▽文芸誌『アフリカ』クリスマス号の詳細はこちら。
期間限定で珈琲とのセット販売も行っています。

上記の下窪さん経由はもちろん、私経由で購入することも
できます!購入ご希望の方は下記アドレスまでメールをお送りください。
推定価格400円の入金確認後に、郵送させていただきます。(送料はおまけします)

kakukikukataru★kotonoha-sanbou.jp(★をアットに変えてください)

2011年11月14日月曜日

ブラフ18番館での朗読コンサート無事終了。ご来場ありがとうございました!

秋らしい心地よい風とやわらかな太陽が降り注ぐ11月13日の午後・・・
横浜山手の洋館ブラフ18番館のサロンルームで、
朗読コンサートを行いました。

洋館へ偶然散策へ来ていた方や、母、友人、知人など15人ほどが
集まりアットホームな雰囲気のなかでのコンサートになりました。
最後まで聴いてくださった皆さん、どうもありがとうございました!

会場には白いユリの花がいけられ、甘い香りが漂っていましたね。
小さな家をモチーフにした木村裕さんの絵も飾られ、
木村さんの生ピアノの演奏、私の詩の朗読がひとつの空間で
淡く混じり合い、とても幸せなひとときでした。
私は大好きだった亡き祖母から譲り受けたワンピースを身にまといました。

今回私は、レインスティックという民族楽器を使って、
雨や波音の効果音にしました。枯れたサボテンを使っているのですが、
中が空洞になっていて、トゲに小石が当たることできれいな音が出ます。
昔は雨乞いの儀式に使われたそうですよ。

共演者の木村さんのやさしい佇まい、そして魂を鎮めてくれるような
美しいピアノの音色、本当に素敵でしたね。

アンコールで演奏した「穏やかな海」は、東日本大震災で津波の被害に
合われた方を悼む作品として、木村さんが作詞・作曲をしました。
朗読していても、情景が浮かぶようで最初は泣いてしまい
なかなか読めなかったのですが、

奪うだけではなく残していってくれたもの、海のやさしさをうたった
この詩をぜひ今回読みたいと思い、最後にお届けしました。
皆さんの心には、どんなものが残ったでしょうか?






Special Thanks 写真提供:下窪俊哉さん

2011年10月21日金曜日

11/13(日)横浜山手の洋館「ブラフ18番館」のコンサートに出演します!

横浜山手にある洋館のひとつ、関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅「ブラフ18番館」のコンサートに出演することになりました!「ブラフ18番館」は、白い壁にグリーンの窓がかわいらしい木造2階建てで、私にとって憧れの場所でした。


洋館のまわりには木々が生い茂りとても気持ちのよい空間になっています。1階のサロンでは、クラシック音楽をメインに毎週土曜日に無料のサロンコンサートを定期的に開催しているのですが、今回は朗読とピアノ演奏の特別枠ということで、「サロン・ア・ラ・カルト」というタイトルで、11月13日の日曜日の14時からコンサートを行います。

今回初めてコラボレーションするのは、絵画を中心に詩の創作や作曲活動も行っているアーティストの木村裕(ゆたか)さんです。昨年、深川番所で行われた展覧会とライブを観て、美しい色彩と魂を鎮めてくれるような清らかなピアノのメロディに胸を打たれて、ぜひ一緒にライブをやりたいとお願いしました。

演目は、木村さんの生ピアノによる演奏に合わせて、谷川俊太郎の詩6篇と、木村裕さんのオリジナルの詩2篇を私が読み。辞書の中にある詩的な文章を抜粋した作品1篇を、私と木村さんとが交互に朗読する予定です。

今回のために木村さんが即興的に書き下ろしてくださったオリジナル曲にのせて、また新しい感覚で詩が浮かびあがってくる内容になっていますので、どうぞお楽しみに!サロンの会場も素敵なので、ぜひ遊びにいらしてください。

◆ブラフ18番館 サロン ア・ラ・カルト
「大人のための朗読会」~谷川俊太郎の詩と木村裕の詩をピアノにのせて~

開催日時:11月13日(日)14:00~(45分間くらい予定)
会場:ブラフ18番館(横浜市中区山手町16)
出演者:芦原陽子(朗読)、木村裕(ピアノ演奏と朗読)
入場料:無料、入退場自由
座席:全席自由、立ち見も可
交通アクセス:JR石川町駅元町側(南口)改札を出て右方向に進み、最初の角を右折、郵便局前の道を直進し、大丸谷坂を上ると右手にブラフ18番館へ入る階段が見える。(JR石川町駅南口から徒歩5分)
ブラフ18番館へ入る階段


◆当日のプログラム
1.谷川俊太郎の詩6篇:「沈黙」 「魂のいちばんおいしいところ」
「今日」 「二十億光年の孤独」 「生きる」 「帰郷」
木村裕 作曲:二十億光年の孤独
~谷川俊太郎の詩の朗読のために~

2.木村裕の詩:「エデン」
木村裕 作曲:「寂Ⅰ」

3.木村裕の詩:「記憶」
木村裕 作曲:「寂Ⅷ」

4.研究社「新和英中辞典」からの引用による詩:「不在の音楽」
木村裕 作曲:「知らせ」

◆出演者プロフィール

芦原 陽子(Yoko Ashihara)
1975年、横浜に生まれる。コピーライターを経てフリーランスのライターとして活動。朗読ライブは2010年にスタート。谷川俊太郎や夏目漱石の作品をレパートリーに持ち、ピアノやオリジナル映像にのせて朗読している。木村裕の詩を生ピアノの演奏で朗読するのは今回が初めて。

木村 裕(Yutaka Kimura)
1957年、東京に生まれる。柴田南雄に作曲を学ぶ。Bゼミ卒業後、1990年代から現代美術家として活動。かわさきIBM市民文化ギャラリー、ベイスギャラリー(東京)、ギャラリーポラリス(パリ)などで個展。近年は絵画、詩、音楽の共存を目指すさまざまな試みに挑戦している。

▽FUKAGAWA BANSHO GALLERY 木村裕プロフィール
http://gallery.kawaban.net/p/yutaka-kimura.html

▽深川番所で昨年行われた展覧会のようす
http://gallery.kawaban.net/2010/08/blog-post.html

2011年10月2日日曜日

アイツはハーゲンダッツが本当に食べたかったのか?

鎌倉の海にはもう何度となく行っているのだが、その日はたまたま暑くて海でアイスが食べたい気分だったので、近くのコンビニでハーゲンダッツのクリスピーサンド(洋風モナカみたいなやつ)を買った。隣のレジに並んでいたヤンキー風なサーファーガールは、別メーカーのあんこ入り和風モナカアイスを買っていた。

海へ着いて腰をおろし、ハーゲンダッツのクリスピーサンドを箱から少しずつ顔を出しながら、ひとくち、ふたくちと食べ進めたちょうどその時、「バッサ」という音とともに、私のハーゲンダッツは見事に手元からなくなっていた。天功のイリュージョンか!?と思うような1秒くらいの出来事である。

最初は何が起きたのかわからなかったが、ハーゲンダッツを持っていた手にかすかな痛みが走った。人差し指から少し血がにじんでいた。あわてて指から出た血を口で吸いながら、ようやく状況が飲み込めた。トンビにやられたのである。

夕日に輝く穏やかな鎌倉の海の白波をじっと眺めながら、この一瞬の出来事を冷静に振り返っていた。トンビは食べ物を持っている人間を狙うとは聞いていたが、まさかハーゲンダッツのクリスピーサンドを狙うとは思わなかった。そして、あのヤンキーのお姉ちゃんも同じようなモナカアイスを食べていたのに、そっちではなく私のハーゲンダッツを狙ったのはなぜだろうとも考えた。トンビは量より質を重視するグルメ志向なのか?

おにぎりやパンなら、主食にもなりそうだが、アイスをトンビが食べてどうするのだろう?と不思議に思う。すぐにとけてしまうし、あんな甘いものを食べておいしいと思うのだろうか?

きっとトンビとしては、人間がおいしそうに食べていたものを獲物だと思い、とりあえず本能で狙ったのだろう。私に何の気配も感じさせず、真上から急降下して私の手元にあるアイスだけを的確に奪い去った正確なハンティング力には、尊敬の念すら覚える。野生の力をまざまざと見せつけられたように思った。

これまで人間が動物や自然に対して繰り返し行ってきた略奪に比べたら、私がトンビに奪われたアイスなどちっぽけなものだし、私をほとんど傷つけずにアイスだけを奪ってくれたトンビには頭が下がる思いだ。

そう、動物や自然は時に容赦のないことをするけれども、
本来は人間よりはるかに優しいものなのだ。

2011年9月29日木曜日

坊主、原発、グランドピアノ

9月22日、門仲天井ホールで行われた河合拓始さんのピアノリサイタルへ行ってきました。河合さんは、現代音楽や即興音楽の自作の演奏を行う他、ダンス・朗読など他ジャンルとの競演もされているアグレッシブな方で、この日は8人の作曲家を取り上げた現代音楽のソロのピアノリサイタルでした。

山手の洋館のサロンコンサートでコラボレーションする、木村裕さんが2006年に作曲した「アイオーン」という曲がこの日、河合さんの生ピアノによって初めて演奏されるということで、私は招待されて聴きに行きました。「アイオーン」とは古代ギリシャ語で始原や日常を越えた大きな時という意味があるそうで、木村さんらしい透明感のある美しい曲でした。

この日取り上げた作曲家は、しばてつさん、高橋悠治さん、木下正道さんなど、ピアノの世界に疎い私にとっては初めて聞く名前ばかりでしたが、その世界ではかなり有名な方だそうです。私は一瞬一瞬目の前に立ち現れる、見えない音符の現代建築の世界に、ただただ圧倒されるばかりでした。

私がイメージしていた「ピアノ」という概念を大きく越えている音が、次から次へと出て来る感じで、私はクラシックピアノを子どもの頃に習っていたけれど、ピアノのことを何も知らなかったんだなとあらためて驚かされ、「ピアノ」という古い縛りから解かれて新しい楽器に出会ったような、自由になった気もしたのです。

この日の河合さんの出で立ちもユニークで、なんとド・ピンクなTシャツ姿でした。河合さんが1点もので作ったオリジナルTシャツなんだそうですが、そこには、「原発とめたい」とのメッセージが書かれていました。


「坊主、原発、グランドピアノ」「坊主、原発、グランドピアノ」
「坊主、原発、グランドピアノ」・・・・・・


これまで交わることのなかった言葉が私の頭をよぎり、
心地良い不協和音が生まれて、ニヤニヤ笑いが止まらない夜でした。

8人の個性豊かな作曲家を自らセレクトして、古い価値観を美しく軽やかに
ぶっ壊すような河合さんの演奏は、何の根拠もないけれど、
確かに原発を止めることができるかもしれない
という気持ちにさせてくれました。

ありがとう!

▼こちらの動画は、河合拓始さんの即興演奏です

2011年9月20日火曜日

Michi-Kusaサイトが本日9/20オープンしました!

本日Michi-Kusaサイトが本日9/20無事にオープンしました!

Michi-Kusaは、ミチクサ1号(ことのは山房 芦原陽子)、2号(荒澤文香)による横浜のクリエイターユニットが主催するプロジェクトで、カフェイベントなどを企画運営しています。サイトデザインはミチクサ2号こと、うさぎとかめデザイン室の荒澤文香が担当しました。

まだ試運転状態ですが、5月に行われた第1回目のイベントレポートや写真エッセイの「きょうの道草」など、お楽しみページをご用意していますのでぜひお立ち寄りください!今後はこちらでイベント告知などをしていきます。

Michi-Kusaサイトはこちら→  http://michi-kusa.net/


2011年7月1日金曜日

ポエトリーリーディングYouTubeに公開!

芦原陽子(ことのは山房)のポエトリーリーディングを
映像作家フルタヨウスケのオリジナル映像と共に
ひとつの映像作品としてYouTubeに公開しました。

カフェイベント「Michi-Kusa」でのライブバージョンとは
ひと味違う大人っぽいバージョンの谷川俊太郎の詩
6篇をどうぞお楽しみください!

照明を消して、ヘッドホンで聴くのがオススメです。
音のクオリティ、臨場感がぜんぜん違いますよ。


2011年6月14日火曜日

夏だ、スズメ、スズメ、カーニバル!!

青山にある洋服や雑貨、傘を扱うショップ「アバラノニマ!」さんの
夏の展示&販売会が西麻布のギャラリー ル・ベインにて
7/1(金)まで開催中です。「ボンボンストア」さんがモロッコや
マダガスカルから仕入れたエキゾチックな雑貨や傘もありますよ。

アバラノニマ!さんには、フリーペーパー「ランチョンマット通信」を
置かせていただいていた&常連のご縁で、
今回の展示の「夏だ、スズメ、スズメ、カーニバル!!」の
キャッチコピーをことのは山房が担当させていただきました!

▼会場のギャラリー ル・ベインは、ギャラリーショップ「MITATE」や
和菓子のお店「ori HIGASHIYA」も併設した素敵な場所です。
ぜひ、お立ち寄りください。


2011年5月24日火曜日

「Michi-Kusa」がヨコハマ経済新聞に紹介されました!

2011年5月24日掲載の記事でヨコハマ経済新聞に
「Michi-Kusa」が紹介されました。
こちらの記事を見て、イベントに参加してくださった方が
何人もいらっしゃいました。どうもありがとうございます!
(写真は、2010年1月に主催したカフェイベントのものです)

▼石川町で震災後の心と体を癒すカフェイベント「Michi-Kusa」
http://www.hamakei.com/headline/6100/




2011年4月24日日曜日

1日限定のカフェイベント「Michi-Kusa vol.1」5/29(日)開催しました!

日曜日の午後、急ぎ足をやめて、てくてく道草をしながら、
ゆったりと自分と向き合う、特別な一日を過ごしませんか?

1日限定のカフェイベント
「Michi-Kusa vol.1」



写真提供:フルタヨウスケ(A.N.P.)

開催日時:2011年5月29日(日)14:00~17:00(受付は13:45~)
        会場:「かどべや」 横浜市中区石川町5-209-3 1階
       (JR石川町駅から徒歩8分)
   会費:2,500円(マクロビスイーツ、ドリンク付)
   ※全席自由席となります。ヨガスタジオのような床はフローリングで、
   座布団をご用意しています。軽くストレッチをしますので、
     動きやすい服装と裸足になれる足元でお越しください。

イベント内容:
①自分を癒す、隣の人を癒すワークショップ(セラピスト 角舞子)
・温もりを感じて元気になる、ストレッチング&タッチング
  (マットなしでできる体軸を整えるヨガ、内臓に溜った負の感情を浄化する
    セルフマッサージ&大切な人を癒すタッチングを行います)

・食生活を見直して、地震や放射能に負けない体づくり
    (原爆直下から生還した先人の知恵。
    放射能に負けない食生活とは?
    マクロビの陰陽を知って、からだの不調を解決!
    マクロビは解毒力が違う!毒をためないからだづくり。
    ぶれないからだと心。自分の中心軸を養うマクロビ食生活
    ・・・といったお話をします)

②3.11あの時どうしてた?トークショー&カフェタイム
・震災の体験談をシェアして、自分の土台を再点検!
       
③心の浄化に役立つポエトリーリーディング(ことのは山房)
・谷川俊太郎の詩をオリジナル映像とピアノにのせて
(「沈黙」「魂のいちばんおいしいところ」「今日」「二十億光年の孤独」「生きる」「帰郷」の6篇を映像作家 フルタヨウスケのオリジナル映像とジャズピアノ曲にのせてポエトリーリーディングします)




       
   

「Michi-Kusa vol.1」のゲスト、クリエイターのご紹介

カフェイベント「Michi-Kusa vol.1」のゲスト、クリエイターの
プロフィールをご紹介させていただきます。



ゲスト:ワークショップ担当

鎌倉在住。英国IFA認定アロマセラピスト。
メディカルハーブコーディネーター。
マクロビオティックリマクッキングスクール師範科卒。
ヨガ歴8年。ありのままを好きになることをテーマに、
トリートメントやワークショップなどの活動を行っている。


イベント主催者、運営、広報、司会進行、テーブルコーディネイト担当:
芦原 陽子(あしはら ようこ)

Web媒体を中心にフリーランスのライターとして活動。
(屋号は、ことのは山房)カフェイベントの企画やトークショーの
出演、音楽や映像にのせて朗読やポエトリーリーディングなどの
パフォーマンスも行う。


イベント共同主催者、コーディネーター、デザイン、音楽担当:

WEBなどのデザインの仕事をしています。
(屋号は、うさぎとかめデザイン室)
過去には、Doo Wopグループで歌ったり、ソロで歌ったり
音楽とお菓子と絵本で小旅行するような
夢見がちなイベント「Pajama note(パジャマの音)」を
主宰したりしていました。


ことのは山房がポエトリーリーディングをする際の
オリジナル映像制作担当:

アートディレクター、映像作家
企業広告・ファッション広告等のデザイン会社を経て1998年フリー。
(屋号は、A NEW PERPECTIVE )映画・ファッションなどのビジュアル
制作の他、映像、企画展のディレクションなども手がける。

2011年4月18日月曜日

放射能をばらまかれても、大人は冷静沈着でいなければいけないのか?

自分の子どもの頃を思いだすと、悔しいことや納得がいかない
ことがあると、近所の目も気にせず路上でワンワン泣き叫んでいた。

お店の前でジタンダを踏んで親を困らせることだってあったし、
どうしても譲れないことや嫌だと思ったことには、
小さいながらも体いっぱい、腹から声をふりしぼるようにして
必死で大人の一方的な主張に対して抵抗していたと思う。

それなのに、大人になるにつれそういったストレートな
感情表現は「大人げない」という言葉で一掃され、
怒るとか泣くとか叫ぶといったことは、いつの間にかみっともない
こととしてフタをされ、なかったことにされてしまうから不思議だ。

高ぶる感情を抑えて、理性的にふるまうことが
もはや当たり前のように思い込まされている現代の大人達。
私達は空気を読んで、いつも冷静沈着でいなければいけないのだろうか?
はなはだ疑問である。

福島第一原発の事故にまつわる、テレビのニュース番組で
連日のように繰り返し流れてくる「ただちに影響はありません」
という冷静沈着な大人のが語るあのフレーズ。
あれを聞かされるたびに、私はあまりの空々しさに背筋が寒くなるのだ。


こんなに放射能をばらまかれているのに、誰がそんなことを信じられるか。
国民をバカにするのもいい加減にしろ!という怒りもフツフツとわいてくる。


そんな中、私がまだ希望を持てたのがネット上などで活躍していた
原子力の研究者やチェルノブイリの原発事故を経験した医師など
による生身の体から出た人間味のある言葉の数々だった。

彼らは学者的立場から理論的に冷静に、原発事故の詳細を
一般市民の目線までさがってわかりやすく説明するのはもちろん、
政府や報道関係者の間違った情報公開のあり方や
誤解をまねく表現に対して、恐れず真っ向から異を唱えていた。

それだけではなく「憤りを感じる」「こんなバカげたことがあってはならない」
「子どもたちがかわいそう」だと、自分の個人的な感情を抑え込まずに、
きちんと言葉にして表現してくれたのだ。

先日目にした元原発技術者の菊地洋一さんが浜岡原発の
即時停止を必死の思いで求める言葉にも胸をうたれた。

私は直下型地震でこれから起こりうる、原発事故の恐ろしさに
氷つくと同時に、とてもじゃないけれど冷静な心ではいられなかった。
なんとかしたいとジタンダを踏み、泣き叫びたい気持ちになった。


人の命にかかわることや、一歩も譲れない大事な場面では、
やはり感情表現は避けては通れないと思う。


それをずっと面倒くさがってずっとクールに避け続けてきたことが、
今という現実にツケになって目の前にあふれているのではないだろうか?
大人はもうどこにも逃げられない。

専門的なことはわからなくても、そんなに問題じゃないと思う。
嫌なことは嫌だと言い、怖いことは怖いと言い、おかしいことはおかしいと言う。
理論的にうまく理由を説明できなくてもいいから、
まず直感的にどう思うか、どう感じるか?
それを一人ひとりが瞬時に自分の言葉で堂々と表現していかないと、
もう間に合わないのだ。いろんな意見があっていいと思うし、
誰かの言葉を否定している暇もない。


とにかく「冷静沈着=思考停止」になってはいけないのは確かだろう。




2011年4月9日土曜日

自粛は不自然

3月11日に起きた東日本大震災からもうすぐ1ヶ月。
季節は巡って喜びの季節、春がやって来ましたね。
関東では桜が咲き、私もつい先日母とお花見をしてきました。
明日もお友達と地元でお花見をする予定です。

世の中は自粛ムードで、イベントやお祝い事が中止になったり
しているそうですが、なんだかなーーーという感じですね。
空気を読んでいるようで、まったく読めていないぜ!
というのが私の答えです。


つまり・・・自粛は不自然ということ。


だって、周りの自然を見渡してみれば答えは一目瞭然です。
桜が自粛して、今年は5分咲きで止まっておこうぜ、
なんてことありますか?
新芽が自粛して、今年は土の中に引っ込んどこうぜ、
なんてことありますか?


答えはノーですよね!


季節はずれに雪だって降るし、せっかく桜が満開になっても
雨は降り、容赦なく突風も吹くわけです。

自然は、まったく空気を読まない。
無邪気で、恐ろしくて、美しいから、
人間に生きる勇気や喜びをくれるのです。

最近、大きめの余震が多いですよね。
私も揺れるたびに、怖くてビクビクしています。
この余震の揺れにもやっぱり意味があると思っていて、

「あんたたち、そんな生き方でいいの?」
と、自然は私達に揺さぶりをかけていると思います。


来年も桜を見ることができるか?


そんなことすらイエスと言えない。確かではないのです。
生きていないかもしれないし、日本にいないかもしれないし、
本当に確かなものなどないのです。

だから、今楽しめることはどんどん楽しむということが、
本当に大切になってきていると思います。
もちろん、地球や自然に負担をかけすぎないように
節度を守って楽しむことは大事ですよ!


なにもドンチャン騒ぎをやれと言っているわけではないので(笑)
それは単なるバカです。


桜のピンクはほんとにやわらかくて美しいな~と
うっとりしまくりの今日この頃。
皆さんも自粛などせず、一年に一度の春を楽しんで
明日への栄喜をやしなってくださいね!

沈んだ顔をして、家の中に閉じこもっていても誰のためにもなりません。
そんなこと被災地の人だって望んでいないし、自然だって望んでいませんよ。

2011年3月24日木曜日

脳内をリセットしてから買い物へ行こう

トイレットペーパーの買い占めにはじまり、連日の放射能汚染による報道で
何を買っていいやら、何が安全なのやら混乱している人が多いと思います。
ここのところの寒さと余震と、見えない放射能汚染の恐怖とで
疲れもピークに達していますよね。

いろんな情報が飛び交うなかで、何を信じて判断し、
どんな行動するか一人ひとりの選択が試されています。
横浜で生活する私自身も、この状況に動揺していますが、


買い物へ行く前に、
ひとまず脳内をリセットしたほうがいいんじゃないの?


というのが、私の答えです。
今の私達の脳内はいろんな情報でパンパンになってヒートアップ
してしまったパソコン状態。だから初期化が必要だと思うんです。

私なりに考えたリセット項目を用意してみました。
脳内のクールダウン、初期化にお役立てください。


★自分なりの「お守りフード」を決めてみる

あれこれ買いあさってみたところで、「足りない」という不安感は
解消されません。それなら、何はなくともコレさえあれば私は
生きていける!と思えるような心強い「お守りフード」を1~3つくらい
に絞って、買ってみてはいかがでしょう?

ちなみに私のお守りフードは「米」でした。2番目にあげるなら「チョコ」かな。
栄養になるとかならないとかは問題じゃなく、気持ちが強くなればいいと
思います。「タバコ」が三度の飯より好きなら、それでいいのです。


★「これ本当に今、食べたいの?」と自分に問うてみる

福島など被災地を応援したい気持ちもわかりますが、安易に放射能汚染
された食物を口にするのは、やはり今は軽率だと私個人的には思います。
首都圏なら他県から安全な野菜が流通しているのだから、今はそちらを
食べる選択をするほうが無難ではないでしょうか。

その上で、「これ本当に今、食べたいの?」と自分に問うてみてください。

産地表示を見て、安全だと鵜呑みにして買うのではなく、実際に商品を
手に取り、鮮度などその野菜から感じるエネルギーに集中してみてください。
本当に買いたいのであれば、手に力が入り料理のレシピが頭に浮んだり、
お腹がグルッと動くかもしれません。いまいちピンと来なかったり、自分が
おいしく食べているシーンが思い描けないのであれば、今はそれほど
食べたくないということ。つまり買う必要がないのです。

本当に欲しい人のためにも、
迷ったら「買わない」という選択をしてください。

日本人は基本的に食いすぎです。これまで蓄積された脂肪や
コレステロールがあるので、少しくらい食べなくても死なないでしょう。


★足りないことはいいことだ!と、開き直ってみる。

水や最低限の食料は、人が生きていく上で必要ですが、それ以外は
なければないでなんとかなります。足りなくなったら代替え品を探せば
いいし、今までの定番を抜け出せる絶好のチャンスでもあります。

いつも使っている商品がなければ、別のメーカーのものを試してみる。
いつも通っているスーパーになければ、町の商店をのぞいてみる。
いつも使っている電車が動いていなければ、バスや徒歩で行ってみる。

それだけでも、今まで見ていた世界がグンと広がるでしょう。
子供を持つ親であれば、そういう姿勢を見せることで、頭を柔軟に
すれば困難は乗り切れることを、子供に教えることができます。

私達一人ひとりが物を買うことは「日々の投資」です。
今まで一カ所に集中していた投資先が分散されることで、
みんなが潤っていくことは、いいことだと思いませんか?

★どさくさにまぎれて、甘えてみる。

トイレットペーパーがなくなったら、誰かに分けてもらえばいい。
食べる物が足りなくなったら、誰かの家でごちそうになればいい。

こんな時だからこそ、どさくさにまぎれて甘えてみればいいと思うのです。
それは、人と人がもう一度ゆるやかにつながるチャンスだから。

自分が助けてもらえば、自然と次に誰かを助けたいと思うものです。
「分け合う」とか「譲ってもらう」とか、お金を使わずとも物を手に入れる
経験をすることは、どっしり構えて気楽に生きていくためにも
必要なんじゃないでしょうか。

2011年3月16日水曜日

泣きたいときは泣けばいい

   泣けばいいんだ泣けばいい

   哀しいときには泣けばいい

   泣けば菜の花涙にゆれる

   泣けば烏もカアと鳴く



   泣けばいいんだ泣けばいい

   ひとりのときは泣けばいい

   遠い誰かにとどけとばかり

   風もいっしょにむせびなく



   泣けばいいんだ泣けばいい

   苦しいときには泣けばいい

   泣いてどうなるものでもないが

   泣いてはらそう曇り空



   泣けばいいんだ泣けばいい

   泣きたいときには泣けばいい

   まぶたはらして鏡を見れば

   いつか笑いがこみあげる


   ( 谷川俊太郎 「泣けばいい」  )


東北関東大震災から5日が経ち、私が自分自身に
読み聞かせたのが、谷川俊太郎さんの「泣けばいい」という詩でした。

ほんとに今の気持ちにぴったり寄りそうようで、とても心が安らぎました。

あの地震の時、私は東京にいましたが
あんなに強く揺られて自分の命も危ういなという恐怖を感じて、

安全とか、便利とか、日常とか、家族とか、電気とか、食料とか・・・
いつも当たり前にあったものがガタガタと音を立てて崩れ去るのを
受け止めきれなくて、お腹から力が抜けちゃったみたいな状態になりました。

くよくよしてばかりもいられないし、
笑顔で力強く前に踏み出すことももちろん大事ですが、
ショックを受けた自分をまずは一度ちゃんと
受け止めてあげることもとても大事だなと思っています。

谷川俊太郎さんの詩にあるように、
泣いている人がいたら、そっと隣に寄りそって
「泣きたいときには泣けばいい」と
言ってあげることも大事じゃないでしょうか。


その後にできることが・・・


一人ひとりが自立して、自分のできることをやること。
お互い助け合って、いたわり合って、声をかけあうこと。
困難な状況の中にも明るい兆しを見つけて、ユーモア精神で楽しむこと。


だと思っています。

人間は何もなくとも、自然に笑いがこみあげてくる強い生き物です。
大変な時には無理せず、あせらず、ゆっくり寝て、
好きなことをして、ご飯を食べて、
笑いや元気がムクムクわいてくるのを待ちましょう。


春の香りがする「せり」を食べて少し元気になった ことのは山房より

2011年3月9日水曜日

今後ますます重要になる!?コール&レスポンス能力

ズバリ結論から言いますと・・・

仕事をするにも、遊びをするにも、結婚生活を営むにも、
今の時代を生きる私達にとって、コール&レスポンス能力は
とても重要になってきているな~と最近ひしひしと感じています。
しかも・・・その能力の個人差は今後ますます開いてくるだろうと。

つまり・・・

レスポンスの早い人、もしくはリアクションの良い人は
ますます楽しい刺激的な世の中になっていくだろうし、
そういう楽しいものに出会う確率が高くなるだろうし、
おもしろがって参加するから勢いもあって疲れない。

レスポンスの遅い人、もしくはリアクションがない人は
ますますつまらない世の中になっていくだろうし、
おもしろくないから、どんよりしてより一層疲れてしまう。
レスポンス能力が低いと、ますます誰からも相手に
されなくなり、置いてけぼりをくらうのは明白だと思うのです。


コールする側、情報を発信する側にまわるバイタリティが
あるならば、また話しは別ですけどね。。。


レスポンス能力が高いことが良いからといって、
テレビでもてはやされているリアクション芸人のように、
おもしろかろうが、つまらなかろうが、番組を盛り上げるために
ド派手にリアクションしろ!と言っているワケではありません。


あくまで自分の感覚で「うぁ、おもしろっ!」「何コレ!」と
思えることに反応することが大前提ですよ~
そこんとこ、お間違えなきように(笑)


今やレスポンス能力が高いというだけでは足りなくて、
世の中全体のスピード感が増してきているから
レスポンスの素早さもヒジョ~に大事です!!!


何か情報を見て気になっていたのに、また後で手の
空いた時に応募しようとか返事しよう思っていると・・・・
あっという間に他の人にチャンスが回ってしまって
「あちゃ~」と痛い思いをすることが多いんですよね。

コール&レスポンスといえば、コンサートでのかけ合いの
意味ですが、以前「ルーザー」の曲でおなじみのBeckの
ライブに行った時に、コール&レスポンスがあって、ちょっと
難しい感じのコールを投げかけられて、みんながBeckの
ラララ~♪をマネすることができなくて、
何度やってもかみ合わなかったんですね・・・

Beckはノリがいまいちな日本人のオーディエンスに愛想を
つかしたのか「GO HOME!!!!」と叫んで、アンコールもなしに
怒って帰っちゃいました(笑)

その当時の私は、チケット代を払って行ったライブで
「お前ら家帰れ!」なんて言い捨てて怒って帰るBeckはヒドイ奴
だな~と思ったんですけど、今になって考えるとBeckのお怒りは
ごもっともだなと思えてきました。

ライブ会場に自分の意思でお金を払って行ったからには、
私達オーディエンスも、その場を楽しむ努力をもうちょっと
しても良かったんじゃないかなと。。。


皆のどこかに「私はお客だから楽しませてもらう側」という
意識があったんでしょうね。でも、今の時代はもはや
「楽しませる側」「楽しむ側」という境界線もあいまいとなり、
「共に楽しむ」能力が求められてきていると思うんです。


例えば、会社という場所を自分で選んで来ている以上は、
その仕事がつまらなかろうが、どうしようもない上司がいようが、
最大限に協力し合って皆で楽しく気持ちよく仕事を終わらせるとか・・・

自分の意思で結婚や育児をすると選んだ以上は、
仕事で時間がないことやお金がないことを言い訳にせずに、
最大限に家族皆で協力し合って楽しく温かい時間を過ごすとか・・・

「素早くレスポンスする能力」と「共に楽しむ能力」が
セットになって世の中に蔓延する時、とても早いスピードで、
いろんな物事が良い方向に展開して行くのではないでしょうか。

と~っても長くなっちゃいましたが、私は今そんなことを感じています。
最後まで読んでくれたあなたは、ルーザー(負け犬)じゃないはず(笑)


2011年3月6日日曜日

銭湯の効用~ムダな羞恥心を脱いじまえ~

「がんばったり、ふんばったりすることも大事だけど、やっぱりポカーンと
何も考えずゆるむ時間も大事だね。私にとって整体などのボディーメンテ
銭湯は、至福のポカーンタイムなのだ。そしてコツコツ貯めたポカーンは
大事な場面でドカーン!!と力を発揮したい時に、起爆剤に変わるのだよ。」

と、ある日ツイッターでつぶやいた
「銭湯の効用」の続きをお話したいと思います。

銭湯に通うようになってからつくづく思うのは、
気付かないうちに地位とかプライドとか役割とか名前とか・・・
人間ってなんていろいろやっかいなものをたくさん身にまとって
生きづらくなっているんだろうということです。


その中でも最近一番ムダだと思っているのが「羞恥心」というヤツ。


特に私も含めて日本人は、人の目をやたらと気にする
ムダな羞恥心をぶ厚く着こんでいる人が多いですね。メタボの
脂肪のごとく、もう体に馴染みすぎてわからなくなっちゃってる感じ!

銭湯は見知らぬ人の前で素っ裸にならなきゃいけないという
大前提となるハードルがあり、そこが躊躇する原因のひとつにも
なっている気もしますが、それゆえおもしろい発見がいっぱいあります。

一度人前で素っ裸になるというハードルをくぐり抜ければ、
「私はなぜこんなことを恥ずかしいと思っていたんだろう??」
という目からウロコ的な悟りの境地に誰もが達するはずです(笑)

裸になれば大小の違いはあれど、だいたい付いているものは
誰でも一緒という心休まる真実に気付けるだけでも、
だいぶ気持ちがラクになるというもんです。


だって、もともと裸のまま生まれてきたのに
裸が恥ずかしいって変な話ですよね!!!


素っ裸の動物から見たら変な洋服を着ている人間のほうが
よっぽど恥ずかしいと思っているんじゃないでしょうかね??
(洋服を飼い主にムリやり着させられた犬の気持ちもしかり・・・)

でも、私が「ムダな羞恥心を脱いじまえ!」と言うのは、
裸になることだけじゃないんです。

例えば、人前に出て話したり意見を述べたりパフォーマンスする
機会が与えられた時に「私、恥ずかしいから才能がないから
ムリムリ」とか言って断ったり尻ごみする人がいますよね。
そういうのがムダな羞恥心だと思うんです。


できる可能性があるから、チャンスが回って来たのに
羞恥心を理由に断るのは、とってももったいないですよね。


これから何か「恥ずかしい」と思った時に、
「その羞恥心は本物か??」と自分を疑ったほうがいいと思います。
実際、恥ずかしいと思っていたことをやってみると、
そうでもなかったり、むしろおもしろかったり、軽やかな気分になったり、
顔は真っ赤になったり手に汗かいたり、声が上ずったりするけど、
達成感があったり、素敵な出逢いにつながったり・・・
きっとメリットのほうが断然多いと思う。

誠実さとか、美意識とか、良い意味に働く羞恥心は持っていても
いいけれど、それ以外の羞恥心は大抵誰かの目を気にした
思い込みだから、そんなものはどんどん脱ぎ捨てちゃって
もっと軽やかに失敗もたくさんしちゃえばいいんだし、
もっと恥かきながら生きていけばいいんじゃないでしょうか?

2011年2月16日水曜日

【2/19(土)放送予定】TBSの情報バラエティ番組『知っとこ!』にチラリと出ます

先日、TBSの情報バラエティ番組『知っとこ!』のテレビ取材を受けました。
その模様が今週の2/19(土)朝7:30~9:25に放送されます。

番組内でトレンドを紹介する「イマコレ!」のコーナーがあり、
私は銭湯が大好きな女子部のメンバーとして登場します。

横浜に引越してきてから地元の銭湯によく通うようになり、
ツイッター上でもいろいろつぶやいていたのですが、
それをきっかけに銭湯イベントを主宰する乙女湯さん
と知り合い、ツイッター上でメッセージをやりとりするうちに
今回のロケ取材にお誘いいただきました。

乙女湯の皆さんとは、取材日が初対面!
いきなり裸のつきあいというディープな一日でしたが(笑)
浅草のお散歩と銭湯デートをたっぷり楽しんでまいりました。

皆で銭湯の良さをいろいろ語ったのですが、
どんな風に編集されているのでしょうね~
入浴シーンが放送コードに引っかからないか
不安ですが(笑)私も楽しみに見たいと思います。

短い登場時間だと思いますが、
皆さんもお時間があれば、ご覧ください!

2011年2月12日土曜日

意外と喜ばれる贈り物

みなさんは写真を、よく撮るほうですか?

私は写真を撮るのも見るのも大好きで、メモ帳がわりに
バシバシと日々携帯カメラを駆使して写真を撮りまくっています。
でも、人物写真はほとんどなくて、植物や料理写真が多いですね。

さびしいかな、大人になればなるほど
自分が写っている写真の数が圧倒的に減っていくんですよ・・・
撮られるのが恥ずかしくなるお年頃なのでしょうかね(笑)


なので、自分が写っている写真をお友達に
メールで送ってもらえると、すごくうれしいのです。


記念撮影的なカメラ目線の集合写真よりも、
私が気付かないうちに、ふいに撮ってくれた
スナップ写真のほうが、さらにうれしさ倍増です。

え~私、こんなに楽しそうな顔してたんだとか、
この人達と一緒にいる時は、いきいきしているなとか、
この服を着ると顔色がよく見えるなとか、太って見えるなとか・・・
自分のことを客観的に見ることができて、とても楽しいのです。

逆に、ひきつった顔やムリした笑顔なんかしてたら、
あの時は、行きたくないのにムリして行っちゃったなとか、
いろいろあって落ち込んでいた時期だったなとか、
過去の自分と距離を置いて、冷静に対話することができるので、
痛い写真も、それはそれで価値があるのです。

この前、友人宅でパソコンにデータを残してあったスナップ写真を
10年くらい前から現在にさかのぼってスライドショーで見る機会が
あったのですが、お友達の表情や服装からその時々の恋愛事情
などが赤裸々に思いだされて、話しに花が咲きました。


最終的なみんなのコメントは、
「やっぱ顔に全部出ちゃっているよね~!!!」でした。


よく男も女も「顔じゃなくて、中身が大事」とお世辞的に
言う人がいますが、私はその意見に「ノン、ノン!」と
人差し指を横に振りながら反論したいのです。

これまで経験してきたことや、今心の中で思っていることや、
健康状態まで、すべて中身がにじみ出たものが、
その人の顔であり表情なのだから、


「大人になったら、いいかげん自分の顔に責任を持て!!」
と言いたいのです。


ふてぶてしい顔を平気で世の中にさらし続けている政治家みたいな
大人を見ると「オマエちゃんと家でちゃんと鏡見てから表に出ろよ」と、
ものすごく腹が立ちます。不満いっぱい抱えて消化不良を起こして
いそうな電車の中のサラリーマンの顔も嫌ですね。

これは、顔が整っているとか美女とか美男とかいう話ではないですよ。
その時々の自分の顔や表情を写真で突きつけられた時に、
「OK!私おもしろいじゃん」と、笑って言えるくらいにはしておきたい。
良くも悪くも、まるごと肯定できる自分でありたいな~と思う、今日この頃です。

2011年2月3日木曜日

節目、節目に額縁を変えてみる

今日は2月3日節分ですね。旧暦では元旦にあたります。
しかも、今年は新月も重なってかなっているので
気分も新たにスタートを切るのには、とてもいい日ですね。

私は今年のスケジュール帳を「旧暦日々是好日」にしたので、
今日から2011年のページがようやくスタートします。
なので、きのうのうちに2010の古いエネルギーとは
お別れしておいたほうがいいなと思い、
ズバッと髪の毛を切ってきました。

寒さでキューッと縮こまっていた首もあらわになり、
冬の間に蓄積したモヤモヤ感もスッキリして、
春モードに気持ちよくシフトできましたよ。

顔の周りを覆っている髪の毛って「額縁」にすごく似ているなと
思っているんですが、この額縁を変えるという行為は
本当に偉大な効果を生み出すんですよね。

よく目じりのシワとか、シミとかを気にして高価な美容液を
使って、ちまちま修復している暇な女がいますが

「そんなに変わらねーーし、第一、オマエのことなんて
 誰もそんなにマジマジと見てねーーよ!!」

と心の奥で叫んでしまう私がいます(笑)
そんなちまちましたことに熱心になるよりも、例えば髪型を
ズバッと変えちゃったほうが表情もワントーン明るく軽やか
になって、フレッシュになれるし、いつもと同じ服を着て
いても、印象が違って新鮮に見えるんですよね。

人間はカメレオンと同じで、自分を取り囲んでいるものに
影響されてどんどん良くも悪くも変わっていけるという
性質をもっと賢く利用したほうがいいと思います。

「額縁」は、髪型だけではありませんよ。
住んでいる家や、働いている職場も、
大きな視点でとらえれば額縁なんです。

だから節目、節目にその額縁を変えてみるって、
とてもエキサイティングな行為!

自分という世界に一枚しかない絵が
生き生きと輝いてみえるように、成長度合いに
合わせて、どんどん額縁を変えちゃえばいいんです。

背伸びした豪華な額縁をつけて、ステップアップするもよし、
自分の絵に自信が出てきたら、素朴な木枠に戻すのもいいしね。

2011年1月30日日曜日

自分のエネルギーの波に乗る!

普段は、何かに追われているというより、 わりとのんびりしている
私ですが、いざ何かをやろうと心が動きだすとものすごいスピードで
仕事や物事を進めたり、即決したりするので、いつも周りの人からは
「え~~!」と、びっくりされてしまいます。

ウサギとカメに例えるなら、
のろまなカメにみせかけた「化けウサギ」かもしれませんね(笑)


つまり、私が大事にしているのは心の瞬発力。


何かをやりたい、どこかへ行きたい、あれを書きたいなど
小さな欲求が日々ふつふつわいてくるのですが、
それが最も高まる瞬間を待ってから行動しているのです。


自分のエネルギーの波に乗る!


というのが、一番効率がいいし、やっていて楽しいし、
気持ちがいい。エネルギーというか自分の情熱を、一気に
爆発できるせいか、説得力も増し、事が進むスピードも速まる
ことが多いと感じています。

イヤイヤ何かをやるのは、自分だけじゃなく、周りにもいい影響を
与えないでしょうし。ダラダラやるのも、エネルギーの無駄になり、
本来出し切るべき時に、力を発揮できないのでは不本意ですよね。


私は遊びや食事、イベントなどのお誘いを受けたときも
これに似たような瞬発力を利用します。


本当の答えは、3秒で出る!


という3秒ルールです。何かお誘いを受けた時、
本当に行くべきものだったり、行きたいと思うものだったら
スケジュール帳やお財布の中身を見る前に「わ~行く行く!」
となっているハズだから。

3秒以内に自分の答えが出ないというのは、
それは今は必要ない。
パスしていいということなのです。

これは、結構当たりますよ~。
3秒ルールを無視して、義理があるから、いつも誘ってくれて
悪いから…などといろいろ理由をこじつけて、本心と違うことを
すると、やっぱり後から「あれは行くべきじゃなかったな」と
後悔することが多いです。私は何度も苦い経験をしています(笑)

なので、私は人を誘って断られた時も、それほどショックはなく、
「あぁ、一緒に行くタイミングじゃなかったのね」
「今、会うタイミングじゃなかったのね」と、サラッと流します。

そういうスタンスでいれば、誘うのほうも、誘われるほうも、
気楽でいいですよね。

2011年1月25日火曜日

今必要なのは、日常の冒険の積み重ね

新しい年になると、習い事を始めたり、目標を立てたり
する人が多いと思うのですが、基本的に私は期限を
決めて目標や計画を立てたりはしていません。


でも、去年と同じ自分では嫌だな。
ということだけは、ハッキリしています。
手っ取り早く、去年と同じ自分でいないために
私が日々意識的にやっているのは、


日常の冒険の積み重ねです。


私の場合、料理をすることが気分転換であり、
イメージトレーニングであり、アイデアを生み出す
脳トレにもなっているので、料理はできるだけ楽しく、
クリエイティブにやりたいなと思っています。
なので、料理本をいろいろ読みあさって新しい手法や
食材、道具を取り入れて、冒険するようにしています。

食材の買い出しも大事で、安くて近くて便利だから
といって、スーパーの特売日にまとめて買い出し
みたいなことはしません。インターネットでまとめて
ポチッ♪というのも、便利そうだけどやりません。


マンネリ化の原因になるからです。


なるべく自分の足を使って八百屋や肉屋、魚屋
などをはしごして新鮮な食材を買いに行ったり、
遊びに出かけたついでに地元の食材を買ってきたり
します。最近は生産者自らが売るマーケットも増えて
いるので、そういうのを利用するのもいいですね。
いつもと違うハーブや調味料を試してみるのも
料理の幅が広がっておもしろいです。


料理は日常の冒険の一例ですが、
自分の中で大きな変化を起こしたければ、
準備運動的に、まずは目先の小さなことから
コツコツ変えていくことが、一番の近道だなと思います。


それから、いつものテリトリーから
一歩でも二歩でも、出てみることも大事。


まわりを見ていて「この人残念だな~」と思うのは、
自分のテリトリーから出ないで自己満足している人です。
買い物ひとつにしても、習い事ひとつにしても、
自分のいつもの行動範囲内のエリアで済ませていたら、
出会うべき人にも、出会うべきチャンスにも
巡り逢う可能性がどんどん低くなっていくと思うんです。
とても、もったいないですよね。

ちょっと意識するだけで、全然見ている世界が変わって
くるので、ぜひいろいろ小さな冒険を試してみてくださいね。

2011年1月23日日曜日

パワースポット巡礼するよりも…

セドナ、ハワイ、伊勢、富士山……
世界にはたくさんのパワースポットがありますね。

景気の低迷や先が見えない混沌とした世の中ということもあってか、
そのパワーにあやかろうとして多くの人々が訪れているようです。
私は、パワースポットをめざして旅をしたことがないのですが、
清らかな気持ちになれる場所やエネルギーを感じられる場所は
やっぱり好きだし、大事にしたいなと思います。

でも、遠く離れたパワースポットをめざして、たくさんのお金と
時間を使ってまで行くことには、そんなに興味がありません。
もっと自分の身近なところに、たくさんあるからです。

例えば、温泉がわいている地元の銭湯、
銭湯に来る世話好きの元気なおばあちゃん、
日本一の焼きいも!と看板をかかげ、生き生きと
焼きいもや野菜を売っている八百屋のおばちゃん、
おいしい手作りソーセージを売っているお肉屋さん、
緑いっぱいの公園、居心地のよい友達の家などなど…

パワースポットと、パワーヒューマンが
ごっちゃになって、私のまわりを取り巻いている感じ!?
場所や人とエネルギーの交換をし合い、リスペクトし合って、
お互い元気をもらっているんでしょうね。


あっちこっちパワースポット巡礼するなど、
そんなまどろっこしいことをしなくても、
「自分自身がパワースポットになる!」と
覚悟を決めてしまえばいいと思うんです。


そうすれば、その人のパワーやエネルギーに引き寄せ
られて、自然と仕事や素敵な出逢いもどんどんやって
来るんじゃないでしょうか。

皆が外へ外へ、幸せやエネルギーを求めるんじゃなくて、
自分自身でいいエネルギーを発して、誰かを元気にしたり、
清らかな空間や気持ちで誰かをもてなしたりして、
癒す側になったら、世の中もっと変わるのにな~と思います。

2011年1月9日日曜日

「学校教育」にまつわる連続ツイートまとめ

テレビ朝日の「発見!人間力」というテレビ番組<1月8日(土)放送>
で取り上げられた全国トップクラスの成績を誇る東成瀬村立中学校。

数学の授業では、グループに分かれて答えを考え、わからない生徒
にはわかる生徒がヒントを出して教えていた。先生も明るくて、生徒が
興味をもてるようにオリジナルの問題を作って出題していた。

人口2900人の山間部にある学校なので、地域全体が子供たちを
育て守ろうという意識が強かった。生徒の登下校を見守るおじちゃん
ボランティアも熱心。地元には塾がないので、隣町から塾講師を雇い
役場で塾を開講していて、生徒からも好評のようだった。

小学校から中学校に上がる時に、授業が急に難しくなると、ギャップに
悩まされる生徒が多いらしい。それを少しでもやわらげるように、
小中学校の先生が一緒になってムリのない教育プログラムを
組んでいた。小中の生徒が交流を持てるイベントなども取り入れて、
精神面でもきめ細やかに対応していた。

東成瀬村立中学校では父母の授業参観の他に、祖父母参観もある。
この地域では3世代同居が多いからだそうだ。孫と一緒に授業に参加
していて楽しそうだった。勉強勉強と生徒を追い込むのではなく、
地域の人を巻きこみ、生徒同士の交流を促すなど、


人間形成の一つとして教育を考えていたのが印象的。


私の小学校から短大までの学校生活を振り返ると、
年齢が上がるほどテストに追われる日々でちっとも勉強が
楽しくなかったし、授業の内容も覚えてない。小学校の6年間は
気が遠くなるほど長かったが、古い木造校舎の手触りや裏庭の
風景、友達とのくだらない遊びやケンカなど、
今でも色鮮やかに思い出せる。

学校生活の良さは、自分が何に興味を持てるか、やっていて
飽きないかというのがいろいろ体験して気付けることだろう。


だから成績がオール5とかオールAとかは自慢にならない。


良いもの悪いものがあるからこそ、
自分の得意不得意がわかるのだから。
お父さんやお母さんは成績が悪くても怒らないでね。

2011年1月1日土曜日

明けましておめでとうございます

ことのは山房です。明けましておめでとうございます。
plants裏鑑賞部 部長としての活動も2年目に突入しました。
新年のご挨拶として、連載中の植物情報ネットワーク
「plants +network」に、最新記事を元日にアップしました。

おめでたい「松」を部長と一緒に裏鑑賞してみませんか?
▼こちらをクリックしてご覧ください。
「A Happy New Year & 愛してマツ2011」